−過去の学会活動報告− |
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■ 関東都市学会 研究例会 を開催しました 【開催日時】 2010年3月13日(土) 15:00〜17:30 【開催場所】 財団法人東京市政調査会 5階第1会議室 【プログラム】 報告1 「明治期における外国人の日本国内旅行 外国人向け旅行ガイドブックを中心に」 長坂 契那 氏(慶應義塾大学大学院 社会学研究科 後期博士課程) 報告2 「青山霊園肥前大村家墓所改葬にみる旧華族家墓所研究の意義と改葬問題−近年の東京都区部霊園再生事業に絡めて−」 石神 裕之 氏 (慶應義塾大学 文学部民族学考古学専攻 准教授) 【当日の様子 関東都市学会研究例会 印象記 石井 清輝(高崎経済大学) 関東都市学会2009年度最後の研究例会は、3月13日(土)、歴史ある市政会館(東京市政調査会)にて開催された。本例会では、長坂契那氏による「明治初期における外国人の日本国内旅行―外国人向け旅行ガイドブックを中心に」、石神裕之氏による「青山霊園肥前大村家墓所改葬にみる旧華族家墓所研究の意義と改葬問題―近年の東京都区部霊園再生事業に絡めて」と題する二つの報告がなされた。 まず、第一報告の長坂氏は、1867年〜80年までに出版された旅行ガイドブック、具体的にはN.B.デニス『中国・日本開港地案内』(1867年)、W.E.グリフィス『横浜案内』『東京案内』(1874年)、W.E.L.キーリング『旅行者のための横浜・東京…案内』(1880)年を資料として、日本への外国人旅行者の動向や、旅行のあり方の変化を探るものであった。その際のキーワードが、tourの語源に通じる「必ず戻ってくる」という言葉である。 当然ながら、旅行は出発地から目的地へ移動し、また戻ってくる往復運動を前提としている。氏は「戻ってくる」ための条件として、日本への航路、外国人居留地と遊歩区域・内地旅行権、回帰するべき欧米文化圏、安全・衛生、などをあげる。これらの条件が、報告が対象とする時期に整備されていったのではないか、というのが氏の一つの仮説であり、上掲の資料を通して考察が加えられた。 『中国・日本開港地案内』には、1866年当時、既に定期航路が確立されていたことが航路表と共に示されている。しかし、この本は読者対象として、旅行者というよりも、商人や外国人居住者を強く意識しているものであったという。短期旅行者を主な読者層として想定した旅行ガイドブックがキーリングの書であり、ここから旅行者の質の変化を読みとることができる。また、『横浜案内』『東京案内』には、英語が通じる場所や安全確保・衛生面など、居留地の状態や日本滞在時の注意事項などが詳細に記されており、安全・衛生を保障するための努力がなされ、その条件が整備されてきたことを物語っている。これらの検討を通して、この時期に「戻ってくる」ための条件が整備され、短期旅行が可能になった、と結論づけられた。 会場からは、仮説に対する疑問点の他、他の非ヨーロッパ諸国の状況との比較研究の必要性などが指摘された。また長坂氏からも、この時期に、後のいわゆる個人旅行の原型が生まれたのではないか、という仮説が今後の検討課題として示された。 続く石神氏は、近代以降の埋葬墓制の実態を明らかにするために行われた、都立青山霊園の肥前大村家墓所に関する調査結果の報告を中心とするものであった。大村家墓所は明治15年、肥前大村藩主大村純熈墓所の構築以降、親族墓所が造立され、戦後の敷地整理を経て今日に至ったものである。当墓所は、「武家華族」の葬制・墓制の変化を知るために重要な事例とされる。調査結果として、埋葬施設内に木炭や漆喰を使用するなど、近世段階の大名墓形式を踏襲したものが見られること。また一方で、伸展葬が採用されているものもあり、近代の埋葬形態の一般化も伺われるものでもあること、などが詳細に報告された。 氏は調査結果の報告と共に、都が進めている都立霊園の改葬が有する問題も指摘する。都は現在、都立霊園を公園化するための再生事業を積極的に進めており、青山霊園でもその一環として改葬が進んでいる。報告の大村家墓所も改葬の際に調査が行われたものであるが、ほとんどの墓は調査もされずに壊されてしまっている。近世墓だけでなく、近代墓も埋葬形態や死生観を知る上での重要な文化財と捉えなければならない。このような視点から、その調査の必要性、公園行政と文化財行政の乖離の問題、霊園再生事業における情報公開の重要性などを強く指摘された。 会場からは、都の再生事業における政策転換の背景や、他の霊園に関する質問などがあった。また、墓の調査の際に大きな困難となる、プライバシーやその所有形態をどのように考えるか、活発に議論された。本報告から、近代墓制について学ぶと共に、霊園再生事業の実態を幅広く周知することの必要性や、保存・調査活動が緊急の課題となっていることも強く感じた。今後の議論の広がりを期待したい。 |
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■ 関東都市学会 秋季大会を開催しました 関東都市学会2009年度秋季大会 開催日: 2009年(平成21年)10月31日(土) 開催地: 神奈川県横浜市 主催 : 関東都市学会 【概要】 10:00〜13:00 エクスカーション1(山手エリア・昼食を含みます) 13:15〜15:45 大会シンポジウム 16:00〜18:00 エクスカーション2(臨海エリア) 18:00〜19:30 懇親会 【大会シンポジウム】 テーマ バブル崩壊以降の臨港開発の変遷 ―港湾利用の変遷と観光都市の創造― コーディネーター 小林照夫氏 (関東学院大学文学部 教授) パネリスト 堀 勇良氏 (元横浜開港資料館学芸員/文化庁文化財課長) 堀野正人氏 (奈良県立大学地域創造学部 教授) 増田文彦氏 (横浜市経済観光局 市場担当理事) 野原 卓氏 (東京大学先端科学技術センター 助教) コメンテーター 中村實氏 ((株)浜銀総合研究所客員研究員、横浜ふね劇場をつくる会会長) ■関東都市学会2009年度秋季大会 エクスカーション午前の部 印象記 川浦康至(東京経済大学) 集合場所の石川町駅。改札を出ると、一瞬目を疑うような光景が広がっていた。魔女やお化けに扮した子どもたちが集まっていたからだ。振り返ると、改札から出てくる人の中にも、同じような衣装の人たちがいる。今日はハロウィンの当日だったのだ。近くの人に聞くと、今日はここ山手で「ハロウィンウォーク」というスタンプラリーのイベントが開かれるという。 これから始まる、われわれのエクスカーションが、このスタンプラリーのコースと同じとは、そのとき思いもしなかった。結果として、行く先々で、小さな魔女や妖怪、フランケンシュタインの群れに遭遇、ハロウィン人口のその多さにびっくりしたのは私だけではなかっただろう。 さて、この日のコースは、石川町駅→イタリア山庭園(ブラフ18番館→外交官の家)→カトリック山手教会→フェリス女学院大学→山手公園(日本最初の「公」園)→テニス発祥記念館→代官坂上→ベーリック・ホール→エリスマン邸→山手234館→山手外国人墓地→アメリカ山パーク→元町・中華街駅→イタリアンレストラン・パパダビデ(昼食)と盛りだくさんだった。 ガイド役を務めてくれたのはハマ通の中村實さん。とにかく横浜事情に詳しい。どんな質問でも即座に詳しい説明をされる。オフレコだから、ここには書けないが、エリスマン邸裏にある山手80番館遺跡(ブラフ80メモリアルテラス」ではオフレコの話もしてくださった(ブラフは「切り立った崖」の意)。 エクスカーションの途中、代官坂上では、石川町の由来も教えていただいた。この駅名は、ここに住んでいた横浜村名主(代官)石川徳右衛門に因んで付けられている。地名の重要性を再認識させられた。 10月最後の日曜日、おかげで素敵な景観浴に浸ることができた。いつか、そぞろ歩きをしてみたい。そう思わせる魅力に満ちているのが山手という空間だ。 ■関東都市学会2009年度秋季大会 印象記 工藤 富三夫(上越市創造行政研究所) 関東都市学会2009年度秋季大会は、「バブル崩壊以降の臨港開発の変遷―港湾利用の変遷と観光都市の創造―」をテーマに、10月31日(土)に横浜市で開催された。日程は、午前に山手エリアのエクスカーション、午後にシンポジウム及び臨海部のエクスカーションである。エクスカーションはいずれも、中村實氏のご案内による。以下、日程順に印象を述べる。なお、要約にはなっていないので、ご了承いただきたい。 山手地区は外国人居留地の面影を残す住宅・文教地区であり、エクスカーションでは洋館群を中心に回った。この日はハロウィンのイベントでどの洋館も子供やその親世代などでにぎわっており、この地区の異国情緒性を引き立たせていた。また、高台にあるため臨海部の街並みを見下ろすことができ、横浜が港町であることが自然に実感される地区でもある。 地下鉄みなとみらい線で移動し、シンポジウムは関内地区の関東学院大学で開催された。コーディネーター小林照夫氏による趣旨説明の後、4名のパネリストからそれぞれ報告が行われた。各氏とも上記のテーマに対して独自の視点から事実の整理や考察を行っており、興味深い。 堀勇良氏は、貴重な歴史的資料を交えながら、横浜港が歴史や観光資源としての価値に配慮しながら整備されてきた経緯を報告された。 堀野正人氏は、建造物等が港町を演出する記号群を創り出し、それらが総体として美化された「港横浜」の観光空間を構成しており、一方で本来港に付随する悪いイメージは「消毒」されているとの考えを提示された。この考え方に立てば、観光客は横浜の歴史や文化に触れているのではなく、テーマパークとしての港の消費者でしかないと言えよう。 増田文彦氏は、港湾機能の多様化の要請を背景としてみなとみらい建設に至る過程を整理し、横浜の観光客は増加したが実際は訪問地が限られているなどの課題を示された。この課題は、テーマパーク化の論拠にもなり得るが、回遊性の高さが集客にも結び付いているのであろうし、臨海部での圧倒的な観光の強さは、横浜の個性化に資するものでもあろう。 野原卓氏は、工業港としての横浜港の開発に着目し、京浜工業地帯が単なる生産の場ではなく、時には産業観光の対象であったり、また時にはレジャースポットと、その土地利用を変化させてきたことを明らかにしている。現在のように物流・生産機能とは切り離された観光空間のあり方が唯一のものではないとの視点が得られよう。 以上の報告に対し、会場からは「地域の文化やアイデンティティの何を残し何を「消毒」していくかというまちづくりのコンセプトはどう作るのか」「横浜が都市として発展していくためには物流面でどのように国際的な役割を果たしていくべきか」などの質問が出され、活発な意見交換が行われた。 全体を通じて、横浜の臨港開発の評価については直接的には結論を導いていないが、それを検討するための多角的な視点が提示されたと考えている。 夕方のエクスカーションでは、馬車道から赤レンガ倉庫、山下公園を経て中華街までを歩いた。これらの地区は、横浜の歴史が凝縮されている印象を受けるが、特に近年開発された場所については、専ら観光名所として演出されている印象も受ける。この日は土曜日ということもあり、新たに整備された「象の鼻」からの夜景を楽しむ観光客も多かったようである。内陸部に住む市民の感情の問題もあるようだが、港に投資が集中しているからこそ付加価値の高いサービスの提供が可能となっている側面もある。 最後になったが、格別なご配慮をいただいた中村先生を始め皆様に対し、この場を借りて厚くお礼申し上げる。 |
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![]() エクスカーションの様子 |
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![]() 大会シンポジウムの様子 |
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■ 関東都市学会 春季大会を開催しました 関東都市学会2009年度春季大会 【開催日】 2009年(平成21年)5月30日(土)12:30-18:00 【開催地』 専修大学生田キャンパス 10号館3階 10315教室 ■自由報告 12:30〜13:50 金子 光 氏(ノースアジア大学) 「日本の予算制度改革と会計検査」 佐藤 充 氏(法政大学大学院) 「国内の立地動向と立地因子の再検討 −企業誘致政策の再考に向けて−」 熊澤 健一氏 (中央大学大学院) 「地域活性化がもたらす「入会」の再構築」 ■シンポジウム 14:00〜16:40 「まちづくりを育ててゆく評価とは :まちづくりの持続、持続としてのまちづくり」 【解題・司会】 土居洋平(山形短期大学) 【報告】 朝比奈ゆり 氏(財)世田谷トラストまちづくり トラストまちづくり課主任 河上牧子氏 慶応義塾大学産業研究所 共同研究員 橋本正法 氏(特非)地域交流センター理事 【コメント】 朝日 ちさと氏(首都大学東京)、秋田典子(千葉大学) 【春季大会シンポジウム 企画趣旨】 「まちづくりを育ててゆく評価とは:まちづくりの持続、持続としてのまちづくり」 (企画担当研究活動委員:平井太郎) 「まちづくり」という言葉が、人びとの口にのぼりはじめたのは、1960年代の大都市からであった。高度経済成長の下、各地で急激な都市開発や、それにともなう住環境の悪化が目立ってきていた。それは、産業や国家に主導された環境の変貌でもあった。それに対して、地域住民が、自らの住環境の変化に、より積極的にかかわる方向性が、「まちづくり」では目指されようとしていた。 以後、その方法論は、住民参加から参画、さらには協働と展開し、住民の役割はますます大きくなってきている。その一方で、「まちづくり」の範囲は、建築環境の改善にとどまらず、福祉の充実や防災・防犯、自然環境の保全や再生、地域の産業活性化や観光の振興にいたるまで、広汎にわたりつつある。そのように、運動の包括性が高まり、利害関係者が複雑化するのに応じて、今日、その「評価」の重要性が増してきている。多様な主体、多様な次元に共有される、一定の客観性をもった指標が、求められているのであろう。 現在、そうした指標には、2つの有力な選択肢が示されている。1つは、公益性の名の下に、均等であること、均質であることが依然、重視されている。だが、結果として、「まちづくり」が本来、含んでいた豊かさが、ネガティヴ・チェックにかけられ、殺ぎ落とされる懸念も拭い去れない。2つには、効率性の観点から、コスト・パフォーマンスにも関心が高まっている。そこでは、多くの場合、貨幣価値への換算が行われ、やはり、「まちづくり」の視野の広がりが、一つの次元に縮められている。 これらに代わる対抗的な価値や指標を提示することは、それほど難しいことではない。しかし、「まちづくり」を対抗的な運動に転換してゆくのは、その40年の軌跡からすると、ある種の後退現象でもある。「まちづくり」は、当初、先鋭化した利害対立から出発したが、徐々に、そうした対立を超えて、地域にかかわる多様な主体や次元を、包括する運動に展開してきたからである。 また、一方で、公益性や効率性による評価から零れ落ちる要素を、あらためて議論することも難しくない。ただ、そうした論点は、あくまで、公益性や効率性が絶対的な指標であることを前提としたうえでの、補完的なものにとどまるであろう。 こうした隘路をくぐりぬけるのは容易ではない。そこで、今回の討論では、比較的、長いスパンで、「まちづくり」を持続している現場に、手がかりを求めたい。そうした現場では、自らの運動の「評価」について、さまざまな摸索が重ねられ、その摸索のうえに、現在の蓄積が築かれていると考えられるからである。 逆に言えば、「まちづくり」に今、問われているのは、時間の厚みや奥行きでもある。公益性や効率性といった指標には、基本的に時間や歴史の観念が含まれていない。公益性や効率性が実現されるとしても、そこには本来、少なからぬ時間が介在しているはずである。また、時として世代を超えて、ようやく公益性や効率性が実現されるように見える場合もあろう。さらに、公益性や効率性の内容すら、時期や状況によって同じだとは言えまい。 これに対して、「まちづくり」の豊かさは、それが、40年という時間を経て、徐々に見出されてきたように、一定の持続のうちにこそ宿るのではあるまいか。この視点は、運動の主体とされた住民や市民の側にも、問いを投げかける。あなたの満足や充実感のうちに、過去や未来の人びとの思いが、どれだけ想像されているのかと。 こうした問題意識の下に、今回の討論では、「まちづくり」の持続的な展開から見えてくる評価のあり方と、また逆に、そうした評価からあらためて見通されてきた、まちづくりのあり方について、イメージを膨らませると同時に、論点を明確にしてゆきたい。つまり、まちづくりと評価とを切り離して捉え、まちづくりの独自な価値を主張したり、評価の方法の精緻化を目指したりするのではなく、まちづくりにポジティヴなフィードバック効果を与える評価のあり方や、逆に、評価という視点を組み込んだときに見えてくる、持続的な営みとしてのまちづくりのイメージを、この討議では引き出したいのである。 【関東都市学会春季大会研究発表・シンポジウム(2009.5.30)の記録】 関東都市学会 春季大会印象記 (自由報告編) 千草 孝雄(駿河台大学) 2009年5月30日、関東都市学会が専修大学において開催された。ここでは自由報告部門の3報告に関して雑感を述べたい。 金子 光氏(ノースアジア大学、旧秋田経済法科大学 専任講師)の「日本の予算制度改革と会計検査」と題した報告は、我が国の一般会計予算の硬直的な歳出構造を、橋本内閣の行財政改革や小泉内閣の「聖域なき構造改革」における予算編成過程を事例にしつつ、客観的な財政データの解析を基に実証的に分析している。 具体的には、橋本内閣の下で成立した「財政構造改革法」や、その後の「中央省庁再編」が、縦割り行政の構造的な問題までをも改革するには至らなかった点を、予算編成の概算要求基準段階・決算段階などについて官庁別に詳細に実証分析しており、ファクト・ファインディングとして大変興味深いものであった。また、小泉内閣の予算編成過程の分析においては、歳出構造の大胆な見直しが模索されたにも関わらず、交付税特別会計など特別会計を活用した「隠れ借金」の手法が駆使され財政の透明性が後退した点や、公共事業関係費の硬直的配分の抜本的是正には至らなかった点を解明している。 国の債務残高が過去最大の860兆円を超える現在、財政の持続可能性を維持することが喫緊の課題であるが、金子氏は財政規律の観点から政策評価に着目し、政策分析の手法である費用便益分析や財政の持続可能性に関する「ドーマーの定理」など、ミクロ経済学・マクロ経済学の理論を用いて論旨展開を行っている点も評価に値する。 金子氏は、外務省において「政策評価の実施に関するガイドライン」の策定や欧米先進国の政策評価手法に関する調査に携わっており、そうした実務経験が報告内容に説得力を与えたものと感じた次第である。 佐藤 充氏(法政大学大学院)の「国内の立地動向と立地因子の再検討」は、企業誘致政策について、三重県のシャープ亀山工場に焦点をあてて検討を加えたものである。まず佐藤氏は、工場立地に関する先行研究について検討を加えている。第一に立地決定において知識・技術を重視した場合に、いかなる地域を選択するのかは従来の理論だけでは十分に説明できない。第二に、現状では、立地要因として知的資産の重要性を触れるも部分的な把握にとどまり、概念の整理や場所の指向性の分類といった体系的な視点での議論は進んでいない。 以上を踏まえシャープ亀山工場に関し次のように考察している。第一に、工場立地において、交通インフラや補助金は必要条件であるが、十分条件とならない。第二に、大規模な設備投資であったことから、地域経済に与えた効果は大きかった。特に、亀山市の地域経済に関して、新工場建設による新たな雇用創出が常住人口の増加をもたらし、企業業績の向上により法人税収が大幅に増え自治体財政が好転した点は、今後の地域経済政策を考察する上で参考となる報告であった。 熊澤 健一氏(中央大学大学院)の「地域活性化がもたらす『入会』の再構築」は、中山間地域における生活基盤である農業集落の共同体的機能を失うことなく、自然環境の維持・管理が可能となる「入会」の再構築に向けた方策を検討したものであった。特に、現在の人口減少社会における地域振興、さらには持続的な経済発展の可能性をも模索した考察は大変興味深いものであった。 また、入会林野に見られた「総有」という所有・管理形態は、現在、「コモンズ論」の立場からも現代的な意義が評価されつつあり、入会林野の近代化、特に所有権の私権化へのアンチテーゼとして大きな社会的な意味を持つに至っている。熊澤氏は、この「コモンズ論」を援用し、入会林野がいわゆるコモンズとして対象化されるのではないかと捉え、如何にしてその機能を継承・保全するかの課題を阿蘇牧野組合の事例などをも基に多面的に分析しており、今後の「入会」の再構築の方向性を検討する上で 参考になる報告であった。 以上の3報告とも大変貴重な内容であり、関東都市学会の活動にふさわしい学際的なものであると感じた次第である。 関東都市学会春季大会 印象記(シンポジウム編) 加藤壽宏(関東学院大学) 学会春季大会のシンポジウムは「まちづくりを育ててゆく評価とは:まちづくりの持続、持続としてのまちづくり」と題して開催され、活発な議論が展開された。企画趣旨は平井太郎氏(土居洋平氏が代役)から説明がなされた。平井氏によると、「まちづくり」という概念は高度経済成長下の1960年代に産業や国家主導による都市開発に伴う住環境の変貌に対する地域住民自らの危惧から生成してきた。その後、地域住民の役割は増大し、「まちづくり」の概念は住環境整備に止まらず建築環境の改善、福祉の充実や防災・防犯、自然環境の保全や再生、地域の活性化や観光の振興にいたるまで、多種多様な住民参加型の活動に発展してきたという主旨のことになる。今回のシンポジウムの3氏のパネリストは、実際に地域住民としてまちづくりに参加し、まちづくりを育てていくなかで、「評価」というものがまちづくりに組み込まれている事例に関しての報告をした。 まず、朝比奈ゆり氏は、東京都世田谷区における「公益信託世田谷まちづくりファンド」についての報告をした。朝比奈氏によると、「公益信託世田谷まちづくりファンド」が市民主体のまちづくり活動に対して、毎年総額500万円を助成する事業として1992年に開始したとのことである。その原資は区民や企業からの寄付、行政等の出資金が基になっている。助成は「世田谷区を対象とした、住みよい環境づくりにつながる活動」を対象とし、モノづくりや環境づくりなど幅広い方面におよんでいる。これで16年間に200を越すグループ活動を支援した実績を有している。助成の評価基準は、その活動が将来にわたって地域の住みよい環境づくりに貢献しているかどうかにある。例えば、市民緑地、小さな森、地域共生のいえ、まちを元気にする拠点、緑地・公園・都市林、特別保護区、文化財等が保全された身近な広場などが、その対象となっている。 河上牧子氏からは、横浜市地域まちづくり推進条例にもとづく「ヨコハマ市民まち普請事業」を通しての報告があった。横浜市では平成17年10月から「地域まちづくり推進条例」に基づく市民に身近なまちを、市民と市が一緒に考え、つくり、育てることを推進する協働まちづくりの実現にある。そのための助成は、地域特性を活かした施設整備提案を2段階に分け、公開審査をして、最高500万円の整備助成金を交付するものであった。17年度提案数は31件、採択数7件、18年度提案数は20件、採択数5件、19年度提案数は10件、採択数5件、20年度提案数は10件、採択数4件である。その審査の評価基準は、創意工夫、実現性、公共性、費用対効果、発展性などにある。 橋本正法氏は地域交流センターの活動を通して報告を行った。「センター」は産官学民の各分野の有志が集まり環境問題を出発点にまちづくりに関わる情報や意見を検討し、実践活動に反映させるために1976年4月に発足した組織である。この「センター」の活動が日常化したことによって、日本リサイクルネットワーク会議、日本エコライフセンター、日本トイレ協会、まちの駅連絡協議会、全国首長連携交流会、提言・実践首長会、全国Eボート連携協会(川の駅)、全国水環境交流会、インフラックス研究会など、様々な組織体が生まれ、各方面で活動している。 以上3氏の報告に対して、コメンテーターとして朝日ちさと氏と秋田典子氏の2氏が発言した。朝日氏は政策評価の目的と機能について補足説明を行った。また、秋田氏は制度上の問題としてまちづくりには効率性と非効率性の部分があることを指摘した。さらに、フロアからは理念と技法だけでまちづくり論が進められていて、実際のまちづくりの現場との乖離があるのではないのかという意見があった。 3氏の報告は実践を通して積み上げてきた成果の結集であり、大いに参考になった。また、コメンテーターやフロアからの意見があがった点は、パネリストの論旨をより整理する上で重要に思われた。評価の対象が助成金の交付が目的となってしまっている点などはその一つである。 今回の議論は、まちづくりの対象が狭義になってしまい、広義に対象を広げていくことも課題となる。つまり、都市形成、行政との関連なども大いに検討すべきことである。住環境問題、社会福祉、少子・高齢化社会、防犯・防災、商店街活性化、過疎地、地域経済再生などを行財政に一任するのではなく、住民参加・主体で行う運動が重要である。兎角、行財政のスリム化に伴い、まちづくりの名の下に行財政の役割を住民に転嫁する傾向がある。行財政を動かしたり、或は監督したり、行財政と住民とが連携していくことが重要である。また、連携していくには、住民の合意形成の度合いが評価基準になるのではないだろうか。それには、時間がかなり必要になるが、住民への周知と運動に対する説明責任とそれに伴う同意への努力と熱意が肝要で、そうしたネットワークを構築していくことだという印象を抱いた。 |
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■ 関東都市学会 研究例会を開催しました 【関東都市学会研究例会】 【開催日時】 2008年3月14日(土) 15:00〜17:30 【開催場所】 財団法人東京市政調査会 5階第1会議室 【プログラム】 報告1 「地域における観光政策の課題と展望」 熊澤 健一 氏(中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程) 報告2 「釜石市のグリーン・ツーリズムとローカル・アイデンティティ」 大堀 研 氏 (東京大学社会科学研究所特任研究員) 【当日の様子:印象記から】 例会参加記 石神 裕之(慶應義塾大学) 平成20年度関東都市学会3月例会では、例年同様に2つの報告があった。そのうち第一報告に関する概要と、第二報告も含めた若干の所感を述べることにしたい。第一報告は熊澤健一氏による「地域における観光政策の課題と展望」であり、第二報告は大堀研氏による「釜石市のグリーン・ツーリズムとローカル・アイデンティティ」の二題である。 まず前者の熊澤氏の発表について概要を述べたい。高度成長期以降、1990年代までの地域振興政策は、大都市が担ってきた諸機能の分散・展開を図るものであったのに対して、今後の地域政策では地域固有の「資源」を軸として、住民アイデンティティの新たな形成を促進しつつ、横並びでない独自の地域振興を図ることが必要であると指摘する。そして具体的対象として、いわゆる「中山間地域」と呼ばれる範囲に位置する地方中小都市に焦点を絞り、昨今話題のエコ・ツーリズムなど観光開発の視点から、地域資源を活かした内発的発展を目指すとともに、都市と地域との連携関係を構築する必要性を指摘した。 地方都市の活性化において、観光が政策的な中軸をなすのは今日に始まったものではないが、熊澤氏が指摘するように観光事業が観光主体である観光客を十分意識しないまま進められ、開発先行の観光政策が展開してきた。熊澤氏はそうした問題点を地域と都市域の人的交流のなかから克服することを提言している。即ち、単なるエコ・ツーリズムではなく、自然環境の保全・整備などを観光者としての都市住民とともに地域社会が進めていくことで、観光資源化のみならず新たな文化、産業が創出され、内発的発展への基礎が構築されることを氏は期待している。 熊澤氏の念頭にある中山間地域の地域資源とは、例えば林業や農業といった第一次産業の生産拠点である森林や耕作地などであると思われるが、そうした産業構造を基礎として、観光を取り入れることで、少数人口の中で自然と共生しつつ、付加価値の高い生産システムを構築しようとする考え方に着目する姿勢は評価できよう。また単に交流人口の増加と施設整備を進めるのではなく、観光を軸に、地域住民と都市民との連携を挙げる点も興味深い。他方、留意せねばならないのは、ここで「自然」とされるもののほとんどは「人為」による「人工」のものであり、地域資源として挙げられるものもまた、人間が介在した結果創られたものであるということである。むろん熊澤氏も理解しているからこその提言と思うが、そうした人工の「環境資源」を作り出した林業や農業の振興こそが、それを資源とした観光にも直結するのであり、産業政策と地域振興の総合政策たりえるのである。 さらに第二報告の大堀氏の報告も含めて、若干のコメントを述べるならば、資源評価という点で、地域内部の評価と外部の評価の喚起は、容易なようで難しい課題である。例えば森林や耕作地、あるいは林業、農業のあり方は、地域内部では日々の暮らしそのものであり、いわば「生活資源」としての評価されるものであるが、外部からは非日常的体験としての「文化資源」として捉えられよう。こうした評価軸の違いを想定しておくことも、地域資源の発見と活かし方のなかで重要となろう。加えて、しばしば地域住民は身近な価値に気づかないといった論調を目にするが、実際には気づいていても経済的有用性や外部で低い評価がされるがゆえに、その価値を低く捉えてしまうだけではないか。自らの価値を無視せざる得ない構造が地域社会や地域政策の中であるとするならば、誠に不幸なことといわざるを得ない。 地域に活きづく資源とは、経済性や有用性、他地域と異なる独自性という側面ばかりではなく、地域の日々の暮らしや環境にこそ保たれるものであるという、ごく自然な事実を理解さえすれば、地域の資源を活用した観光や地域振興のあり方は、どこか作り物めいたよそよそしいものではなく、もっと地域に根ざした実体の伴うものになるのではなかろうか。なお、各氏の発表内容については、筆者の見解であり、誤読・誤解などがあれば、すべて筆者に責がある。 関東都市学会研究例会印象記<第2報告> 飯嶋誠一郎(法政大学大学院博士後期課程) 平成21年3月14日、関東都市学会研究例会が財団法人東京市政調査会において開催された。2つの報告があり、2つとも地域の観光がテーマであった。ここでは第2報告の大堀研氏「釜石市のグリーン・ツーリズムとローカル・アイデンティティ」について雑感を述べたい。 観光立国推進基本法が2006年に制定されるなど、近年観光が注目されている。その注目は、観光が地域の経済的再生ツールとして、また地域の個性創出や地域への誇りや愛着の涵養のツールとして捉えられていることによる。このような傾向には、どのような問題と可能性があるのか。このことを検討することが報告の目的であり、岩手県釜石市で推進されているグリーン・ツーリズムの事例をもとに論じられた。 釜石市の現況として、人口の減少、高齢化の進展、経済の停滞、財政の悪化、観光客の減少がある。この中で、釜石市役所は、観光を主要な産業として捉え、地域経済への波及効果を促進しようとしている。釜石市において、グリーン・ツーリズムが本格的に開始されたのは1998年で、農業体験、漁業体験を特色とした観光を推進し、修学旅行などを受け入れて一定の成果を出している。しかし、農業体験などの担い手の高齢化のほか、「鉄のまち」のイメージが強く観光地としてのイメージが弱いこと、財政難によって観光資源の整備が不十分なことにより、観光が地域の経済的再生ツールとは成り難いことを指摘している。 それに対して、グリーン・ツーリズムが地域の個性創出や地域への誇りや愛着の涵養のツールとしては有効であるとしている。ローカル・アイデンティティ、すなわち「地域らしさ」の構築には、地域の自然、文化、歴史を資源として活用し、学びや楽しみのプロセスでもあるグリーン・ツーリズムが適しているとしながらも、釜石市の現状は「鉄のまち」のイメージを「自然」と有効に結びつけるなどのイメージの更新はなされていない。しかし、今後のローカル・アイデンティティの更新に期待できるとしている。一方で、ローカル・アイデンティティやそれへの誇り・愛着の強調は、地域活性化を意識の問題のみに収斂して社会・経済構造の問題を減免してしまう恐れがあると指摘し、さらに、何を愛すべきかあらかじめ決めてしまうような「地域全体主義」に陥らないように、ローカル・アイデンティティを固定的に実体化せずに「常に形成され、変化し続ける」ものと捉えることの重要性を指摘している。 参加者からは、釜石市において地域活性化のための有効な地域資源が見つかっていないことや地域おこしの市民の存在のことなど、釜石市の現状について質問があった。さらに、グリーン・ツーリズムが、ローカル・アイデンティティに影響を与え、地域活性化のために地域の固有性、内発性を発揮させ、価値観の転換にまで至るにはどうしたらよいか、など今後の展開についても話し合われた。本報告は、どの地域においても関心が持たれ、なおかつ頭を抱える地域活性化というテーマを、グリーン・ツーリズムとローカル・アイデンティティという観点から論じたものであり、たいへんに興味深いものであった。 |
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■ 関東都市学会 秋季大会を開催しました 関東都市学会2008年度秋季大会のご案内 【開催日】 2008年(平成20年)11月22日(土) 【開催地』 千葉県流山市 【主催】 関東都市学会 【後援】 流山市 【エクスカーション】 テーマ「都心から一番近い森の街・流山を歩く」 【大会シンポジウム】 テーマ「近郊都市の魅力を探る」 会場 江戸川大学 総合福祉専門学校 F101番教室 基調講演「都心から一番近い森の街・流山を創る」 流山市長 井崎義治氏 シンポジウム「近郊都市の魅力を探る」 コーディネーター 井上繁氏 (常磐大学) パネリスト 國原浩氏 (東神開発(株) 代表取締役) ※ 郊外型ショッピングセンターの魅力づくり 西田良三氏 (流山市 マーケティング課長) ※ 流山市のブランド化 檜槇貢氏 (弘前大学 教授) ※ コンパクトシティの進展と近郊の課題 大矢根淳氏 (専修大学 教授) ※ つくばエクスプレスがまちを通る ―社会学的調査「社会調査演習・実習」で把握できたこと― <大会・シンポジウム解題> 流山市は、典型的な東京の近郊住宅都市として発展してきた。従前から、江戸川の沖積低地面に展開する水田および背後の洪積台地面に展開する森林と畑地という旧来の地域社会と、東武野田線・総武流山線・JR武蔵野線沿いに展開する新興住宅地域との対比が鮮やかであった。 しかし、中心商業地区の地盤沈下が深刻化し、住宅開発の指向が野田線沿線から、「TXつくばエキスプレス」(2005年8月開業)沿線に移ったことにより、根本的な都市構造の転換を迫られている。周辺都市との地域間競争も激しさを増している。近隣の越谷市では、延床面積37万平方メートルを擁する国内最大のショッピングセンター「イオンレイクタウン」(10月2日開業)を中核施設としたまちづくりが進みつつあり、三郷市でも「新三郷ららシティ」の建設が進んでいる。 こうした中で、個性豊かな地域性を持続しながら魅力溢れるまちづくりを進めていくにはどのような将来像が必要となるのか、そしてこれを実現するにはどのような発想・仕組み・取組みなどが必要となるのか、様々な視点から、問題の所在を含めた議論を深めることが求められている。シンポジウムでは、近郊住宅都市という古くからの都市類型のなかで、流山が創造すべき魅力的なまちづくりの方向性を整理していきたい。 ■2008年秋季大会:流山市「近郊都市の魅力を探る」 印象記 大内田鶴子(江戸川大学) 2008年度の関東都市学会秋季大会:テーマ「近郊都市の魅力を探る」、が11月22日(土)に開催された。流山市の後援のもと、午前中は市長自らのご案内で「都心から一番近い森の街」を視察した。午後は江戸川大学総合福祉専門学校のホールに会場を移し、つくばエクスプレス沿線の都市開発について議論を交わした。 流山市は近年まで農村部の多く残る数少ない近郊都市である。水田・畑・森林と屋敷林に囲まれた農家が点在している。駅名「流山おおたかの森」が示すように、貴重な自然が残されている。住宅開発は武蔵野線、東武野田線の沿線に行われ、駒木原と呼ばれる市域の真ん中には豊かな自然が残っていた。このエリアを縦断して野田線と武蔵野線と直角に交わるようにTXが整備されることによって、東西南北の交通がネットワークされ、流山市は都市構造の大転換を迫られることとなっている。開発の進行する只中にキャンパスのある江戸川大学において行われたシンポジウムでは、新たな都市の魅力の創造過程として、都市開発に携わられている様々な立場の方から発言をいただいた。 TX沿線都市開発は首都圏の長い開発の歴史の中でも、2000年を越えてからの新しい取り組みであるといえる。井崎市長は、マーケティング課を新設し、TX沿線の新都市づくりの都市間競争に臨んだ。流山市の資源である自然を活かしたブランド戦略を構想し、共働き・子供あり夫婦の居住地としての開発を進めている。一般的には地方公共団体の都市政策は全ての市民に喜ばれるように「だれでも何でも」戦略に向いがちであるが、流山市のTX沿線開発はターゲットと目的を明確にしている点で新しさを感じることができる。 流山おおたかの森ショッピングセンターの開発を担当した東神開発代表取締役國原浩氏は、 人口減少、不動産価値の低迷、工場立地の困難な経済・社会状況の中で沿線の開発地が、皆同じように商業で戦わなければならない条件の厳しさを述べた。流山市では、若い夫婦をターゲットとしたエコ・ブランド戦略、グリーン・チェーン戦略でガーデニングクラブや送迎保育ステーションと連携した駅前の賑わい創出の工夫を重ねている。 弘前大学の桧槙貢氏は、自然環境の保護への取り組み方について、おおたかのような、守るべき価値が明確に見えていることで、マーケティングという新しい手法を効果的に取り込むことができていると評価した。遠隔地からの視点でみると、流山市は資源や条件に大変恵まれていて羨ましいが、これまで市の歴史をつくってきた市民の支えが十分に認識されておらず、生かしきれていないこと、予算の投入面での工夫が足りない、など意見を述べられた。 いまだ交通の計画段階の駒木原で、常磐新線反対運動が繰り広げられていた時期に、江戸川大学で教鞭をとっておられた大矢根淳氏は、都市開発の「際=キワ」に取り残される人々の存在について意見を述べられた。TX沿線開発は土地区画整理事業によって実施されたが、複雑な制度を関係住民に周知徹底できないまま施行段階に入り、行政と住民のコミュニケーションの行き違いや政治政党の介入によって、合意形成が困難になった。少なからず「犠牲者」を生み出した開発の裏面について示唆をいただいた。 なお、江戸川大学は土地区画整理事業を受入れなかった集落に隣接していたため、キャンパス周辺は現在も緑豊であり、昔の面影の残る集落の小道を通学に使わせていただけていることを、新たに学ぶことができた。 ■秋季大会印象記 麦倉哲(早稲田大学地域社会と危機管理研究所・客員研究員) 2008年度秋季大会は流山市諸施設と江戸川大学を舞台に開かれ、「都心から一番近い森の街」というスローガンを掲げる流山市が推進する、近郊都市活性化の施策をめぐって、活発な議論が展開された。 午前中のエクスカーションでは井崎義治市長自ら案内役を務め、午後の基調講演でも、市長の掲げる、流山市活性化政策のポイントが紹介された。学術研究・交流のために、まる一日のスケジュールをとっていただいた市長には感謝したい。ここでは、講演やシンポジウムで語られた流山市の都市戦略のポイントと論争点を私なりに整理し、大会の印象記としたい。 流山市の都市活性化戦略の根幹は、今後、流山市に転入してほしい住民象を、鮮明に描いていることである。その第一の特徴は、DEWKSである。共働きで子育て時期を迎えているファミリー層である。その第二は、住環境の質やエコロジーに関心をもつライフスタイル層である。 流山市は、つくばエクスプレス(TX)の敷設を契機として、都心からの空間的配置が激変し、急激な市街化開発と人口増が見込まれている。全国の自治体が縮小化の課題を抱えているのとは正反対に、自治体の人口規模と財政規模の拡大に対応していくことが予測される。一見して、うらやましい自治体である。 市長はこれを契機にとらえ、ただでさえ開発が進み人口増が見込まれる地域であるだけに、この市場をたくみに誘導しようとしている。共働きの子育て環境の整った街、エコに配慮した居住環境の質の高い街という線で、イメージアップを図っていることである。しかし、こうした政策を推進するにしても、基礎的自治体が管轄する権限の範囲も予算も限られているので、民間の開発事業者と連携し、市のイメージ戦略に沿った市場誘導をはかろうとしている。 その第一が、駅前再開発事業であり、その象徴ともいえる、流山おおたかの森駅前の、ショッピングセンターに、1ランク上のテナントを誘導するように指導し、DEWKSファミリーを意識して託児送迎ステーションを整備し、駅前デパートには子供連れで出かけやすいようにベビー休憩室やキッズルーム付きのレストランを配置するように誘導している。休日も開業する市の出張所もある。筆者は、学会の2週間後、妻と一緒にゼロ歳児を連れてここを訪問したが、ベビー休憩室はとても使いやすかった。難点は、サインが分かりにくいこと。 その第二が、グリーンチェーンという戦略で、市街地開発が地球温暖化を促進することがないように、建物の周りには建物よりも背丈の高い樹木を植えるように奨励している。こうした条件を満たすには、一戸当たりの宅地面積も小さくできないのでコスト高となる。しかし、そうした家並みが、資産としての価値も高めていく。開発事業者を強制することはできないが、市は評価ランク(グリーンチェーン認定・三つ星)を与えることにより、誘導している。 市が想定する住民は、ある程度裕福なファミリーである。そうしたファミリーを誘致することが、市の住民税収入の増加に貢献するという想定を市はしている。市の戦略は、行政コストを一定限度に抑えつつ、将来の財政状態の安定化を見込んでいる。ばら色のようである。 シンポジウムでは、衛星都市という位置づけで市の発展象を描いてよいのか、市の財政はこれまで危機的であったが職員人件費などご今後どうしていくのか、常磐新線に反対していた住民は開発政策に満足していないのではないか、グリーンチェーンと防犯の環境整備とのかねあいはどうか、外部からのブランド事業者誘致ばかりでなく地元の事業者の活性化策はどうなのか、などの論議や質問が出された。 今後の流山市の政策展開に注目が集まる。最後に。会場を提供してくれた江戸川大学には感謝したい。 |
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大会シンポジウムの様子 |
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エクスカーションの様子 |
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■ 関東都市学会 研究例会を開催しました 【関東都市学会研究例会】 【開催日時】 2008年9月20日(土) 15:00〜17:30 【開催場所】 慶応義塾大学三田キャンパス 南館5階D2051会議室 【プログラム】 報告1 「地域における異文化の受容 ―GHQ職員ブレイクモアの生涯とあきる野市との関わりについて」 飯嶋 誠一郎 氏(あきる野市役所/法政大学大学院政策創造研究科博士後期課程) 報告2 「プライヴァシー概念の導入と変遷」 杉平 敦 氏(東京大学 大学院総合文化研究科 国際社会科学専攻 博士課程) 【印象記】 関東都市学会研究例会 印象記 <第1報告> 石井清輝(城西大学) 平成20年9月20日、関東都市学会研究例会が慶応大学において開催された。ここでは、飯嶋誠一郎氏、「地域における異文化の受容―GHQ職員ブレイクモアの生涯とあきる野市との関わりについて」の報告について雑感を述べたい。 報告では、トーマス・ブレイクモアの生涯に関する詳細な解説と、ブレイクモアとあきる野市との関係を踏まえた異文化受容のあり方、地域興隆の方法についての考察がなされた。ブレイクモアは、1915年にアメリカに生まれ、日本の憲法と法律の研究をするために1939年から1941年まで日本に滞在した。終戦後の1946年には、アメリカ国務省の外交官助手の一員として再来日し、GHQ民生局への移籍後は日本の法律整備に携わった。勝者であるアメリカとその支配下にあった日本とでは、歴然とした力の差があった。アメリカ法を押し付けることが日本の民主化につながると考えるGHQに対し、日本の将来を案じ、日本の良さを理解するブレイクモアは、日本にとって最善の道を選ぶため両者の調整役を担っていた。そのため彼は、「ジャップの助っ人」と罵倒されたという。占領終了後は、弁護士として欧米企業と日本の仲介役として活躍し、フライフィッシングの釣り場、果樹栽培の実験農場などをあきる野市に開設し、1988年の離日まで日本人との交流を続けたという。勤勉で努力家でありながら、ユーモアと周囲への気遣いを忘れないブレイクモアの人柄が浮かび上がる報告内容であった。 異文化受容と地域興隆のあり方については、主にブレイクモア個人の取り組みとあきる野市との関係を中心に報告がなされた。まず、ブレイクモアがあきる野市に1955年に開設した養沢毛鉤専用釣場では、入場料の1割を地元自治会に還元するという仕組みが守られた。ここから、ブレイクモアに頼らず、自分たちの自治会で釣り場を経営していこうとする自立心が形成されていった。但し、運営形態や収益金の使用法については自治会内でも議論されているところだという。ブレイクモアは、1976年に農事試験場(兼別荘)も開設している。この試験場は、実業界、法曹界、研究者、学生などが多く訪れ、交流の場として機能していた。地域興隆という観点からは、釣場と試験場が運営者を替えて引き継がれており、人や情報の交流、発信の場になっているという。最後に、これらの遺産が、出会いを形作り互いの理解を深める場として、地域興隆の基盤を形成するのではないか、という今後の展望が述べられた。 ディスカッションにおいては、まず、異文化の受容過程を、既存の地域文化との葛藤や緊張を持った動態的な過程として把握することができるのかどうか、その方法論にはどのようなものがあるか、という問題提起がなされた。また、海外の日本研究者の個人史を描く際にしばしば用いられる、公定的な歴史像に関する問題などが議論された。 報告を伺って、異文化受容や地域興隆を考える際に、中心となるリーダーの個人的資質を理解することの重要性を再認識した。また、リーダー層のパーソナリティの分析に加え、当該地域が有する文化の変容過程や、地域興隆を通じた新たなつながりの生成過程などを伺いたいと感じた。他の地域社会の事例との比較分析やリーダー層の類型化など、今後の展開の可能性を示唆する貴重な報告であった。 関東都市学会研究例会印象記 <第2報告> 中村千恵(飯能市役所) 去る9月20日の研究例会の第2報告、杉平敦氏の「プライヴァシー概念の導入と変遷−1903年以来の居住の理念−」について、その概要と雑感を記すこととする。 今回の報告で杉平氏は、そのねらいを戦後の住宅政策で唱えられた「プライヴァシーの確保」という目標がその当時と現在とではどのように異なっているのかを明らかにする、としている。 その際、ここでプライヴァシーを取り上げるにあたり注意すべき点は、現代を生きるわれわれの生活を支える理念がいつの時代、どのような社会的背景から登場し、当時の人々が目指したものとはどのくらい異なるのかについて明示することにより、どのような差異が生じているのかわかるというものであった。 「プライヴァシー」というととかく戦後のものと考えられがちであるが、日本住宅史上で「プライヴァシー」という言葉が用いられた最初期の例として、杉平氏は1903年に『建築雑誌』に掲載された滋賀重列の「住宅(改良の方針に就て)」があることを指摘し、その滋賀の言葉を引用することによって、ここで扱う「プライヴァシー」の概念について考察している。さらに、その言葉の意味とその内容について時代の流れとともにどう変わっていったのか、を具体的な図や引用を交えて見ている。結論を言うと、氏は戦前、戦後、現在に至るまで住宅を論ずる際に用いられる「プライヴァシー」という言葉の意味は変わっておらず、その確保される主体だけがそれぞれの時代背景とともに変化していっただけではないか、と述べる。 それを論証するために、20世紀全体を5つの時期に分割し(具体的には第1期を1915年前後、第2期を1920年前後、第3期を1923年前後〜1955年前後、第4期を1960年前後〜1970年前後、第5期を1975年前後〜に分割)その時期の特徴を見ていき、それによって論拠を示した。「プライヴァシー」の意味自体はこの100年の間同一の枠内を揺れ動いていただけではなかったのか、と氏は結論付ける。 当日、会場内では「今回の発表で居住者層を公営住宅に限定したのはなぜか?」「プライヴァシー概念は東京全体ですべておなじであったか?」「プライヴァシーと家屋の間取り設定についてどう捉えているのか?」「子供部屋の独立化は本当にプライヴァシーの確保につながるのか?」等々さまざまな議論・質問が出された。また、本発表の根幹である「プライヴァシー」の意味については、滋賀の論にあったような意味は元々英語にはない、との指摘もあった。 これらに対する氏の回答としては、個人所有住宅には触れず対象を公営住宅に限定したこともあって、明確な答えは得られなかった。また、プライヴァシーの概念は東京の中でも地域差があるかもしれない点や、子供部屋の独立はある意味商業用の販売促進に乗せられてしまったのも否めない点等も含め、氏の今後の展開に期待したい。 また、本発表ですばらしかった点は、今日我々の生活の中でプライヴァシーが声高く叫ばれる中で、その生活スタイルを住居の形態という観点から追求するというきわめて斬新な視点を提供している。 今回会場内で出された意見も踏まえて、今後本報告が大きな広がりを持ったものになっていくことを大いに期待される。 |
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■ 関東都市学会春季大会が開催されました 【日 時】 2008年5月31日(土) 13:00〜17:20 【場 所】 玉川大学 大学5号館 2階 249教室 【プログラム】 □ 自由報告 13:00〜14:00 金子光 (東京大学大学院) 「日本の予算編成過程―政策評価の観点から―」 外川伸一(山梨学院大学) 「国家ガバナンス論のローカル・ガバナンス分析への適用可能性に関する考察―ネットワーク型ガバナンス論と修正タイプの新制度論的ガバナンス論―」 □ シンポジウム 14:10〜17:00 ![]() シンポジウム詳細はこちら(PDFファイル、211KB) 「災害」研究の新しい地平: 「事前復興」「回復=復元力resilience」概念と現代都市 【解題・司会】 大矢根淳(専修大学) 「災害をめぐる研究における「新しさ」とは何か」 【報告】 浦野正樹(早稲田大学) 「災害をめぐる新たな想像力:社会の「回復=復元力」について」 吉川忠寛(防災都市計画研究所) 「「事前復興」という新基軸:阪神・淡路から東京へ」 福留邦洋(新潟大学) 「回復=復元力」「事前復興」概念と現場実践 :中越・中越沖から東京へ」 【討論】 司会 大矢根淳 「災害研究における新しい争点」 総会 17:05〜17:20 懇親会 17:30〜19:30 【春季大会シンポジウム 企画趣旨】 平井太郎 + 研究活動委員会若手作業部会 13年前。阪神・淡路大震災。それは、高度化した現代都市において、100万人単位の人びとが被災した、衝撃的な出来事であった。「防災」に関心をもつ人びとは懸命に、この出来事から何かを学びとろうとした。その後も現在まで、災害はさまざまなかたちで打ち続いている。そしてそのたびに我々は、これまでの「防災」のあり方を根柢から問われ、学びを繰り返すのに追われている感がある。 ただ、阪神・淡路の経験は我々に、「防災」のあり方ばかりでなく、考え方そのものを問いかけたのではないか。「防災」というとき、たとえば地震といった自然力の、瞬間的な衝撃力ばかりに目が向きがちである。しかし「災害」とは、そうした自然力が爆発する瞬間だけでなく、そのはるか前から、目に見えないかたちで蓄積されてきた、さまざまな社会の矛盾の噴出であり、逆に社会の知恵が試される刻でもある。また「災害」とは、自然力の爆発そのものの記憶が薄れた後も、長く我々一人ひとりや社会に、肯定、否定とりまぜた痕跡を残してゆくものでもある。そのように災害を、過去や未来に延ばした、長い時間軸で捉え返す――阪神・淡路の経験が我々に教えたのは、そうした新しい考え方ではなかったか。 このような問題意識から、どちらかと言えば瞬間を問う「防災」研究から、過去と未来を視野に入れる「災害」研究へ、という新しい地平が切り拓かれつつある。そうした研究の展開にしたがって、人びとの生活のレベルや政策・計画のレベルでも、「社会の回復=復元力」や「事前復興」といった、新しい考え方が広がりつつある。 今回のシンポジウムではまず、このような「防災/災害」に対する新しい捉え方の潮流について、研究の最前線に位置する方がたから解説を得たい。そのうえで、政策・計画や生活復興の現場で活躍する研究者に、そうした新しい考え方がどのように応用されているかを問い、研究理論と実践応用との応答を試みる。 同時に、一連の解説と応答でつねに念頭に置かれるのは、「東京」である。東京では近年、「事前復興」の考え方をとり入れた、新しい防災計画が打ち上げられつつある。それが本当に阪神・淡路の経験を昇華させたものなのか。東京で災害と遭遇するかも知れない人びとは、「事前復興」と言われたとき、どのように考え方を新たにせねばならないのか。また、混在と流動化が進む現代都市・東京で、「社会の回復=復元力」とは、どのように測られ、また図られるものなのか、そもそも、東京においてどれくらい有効な考え方なのか。極度に高度化した都市・東京は、研究と実践の新たな試みに、つねに巨大なアポリアとして立ちはだかる。 また、災害の経験や研究には、次のような本質的な難問もある。それは、災害という出来事が想像を超えたものであるだけに、災害に遭遇していない人びとに伝えることが難しいという問題である。もちろん、建築・土木技術や政策・計画といった「工学」では、出来事をたとえば数値に置き換え、伝えたり共有したりできるように見せるかも知れない。だが、もっと生きる実感のレベルで、災害の経験や研究を分かち合えないのか。おそらくそのためには、数値による変換ではなく、「想像力による架け橋」が求められるであろう。「防災」を「災害」と捉え返そうとする研究の新しい地平に期待されるのは、こうした、人と人の実感をつなぐ想像力を豊かにする手がかりである。 【当日の様子−印象記から−】 「関東都市学会:春季大会印象記(自由報告編)」 金子 憲(首都大学東京) 平成20年5月31日、関東都市学会春季大会が玉川大学において開催された。ここでは自由報告部門における金子 光氏「日本の予算編成過程−政策評価の観点から−」、外川 伸一氏「国家ガバナンス論のローカル・ガバナンス分析への適用可能性に関する考察」の報告に関して雑感を述べたい。 まず、金子 光氏の報告は、客観的な財政データの解析を基に、財政学のみならず行政学の研究をも踏まえて「行財政改革」の背景や問題点を指摘している。具体的には、これまでも歴代内閣によって「行財政改革」はたびたび唱えられてきたが、現在、日本の国家的課題として必要な行財政改革について、その発端である第一次臨調(1962年〜1964年)、第二次臨調(1981年〜1983年)、橋本行革の内実を振り返って考察し、そこから今後のより望ましい改革のあり方を、政策評価の観点から分析している。 特に、橋本内閣の下で成立した「財政構造改革法」(1997年)や「中央省庁再編」(2001年)が、一般会計予算の硬直的な歳出構造や「縦割り行政」の構造的な問題までをも改革するには至らなかった点を、官庁統計を含む既存統計などを基に多角的に実証分析しており、その分析結果は大変興味深く、論旨展開に説得力を与えている。 また同様に、第二次臨調後、大蔵省が概算要求基準段階で採用した「シーリング方式」は、1983年度から5年連続で一般歳出の伸びをゼロないしマイナスに抑え、予算総額の抑制策として成功したかに見えるが、この「シーリング方式」による予算編成とともに「隠れ借金」による歳出の繰延べ措置が乱用された点や、「縦割り行政」や予算構造の硬直化を招いた問題点を、財政データの丹念な収集・解析により様々な観点から考察し明らかにしている。 以上の点は、慶應義塾大学の藤田教授も当日講評されており、このように金子氏の研究は既存の対立する仮説や通説、さらには政策上の課題を取り上げ、財政データを基にした実証分析を政策提言に結びつけるものであり、現在の日本の行財政改革のゆくえを考察する上で非常に示唆に富む内容であった。また、参加者からのコメントにもあったように、金子氏の外務省での実務経験も同氏の論旨展開に説得力と厚みを加えたものと感じられた次第である。 次の外川 伸一氏の報告のキーワードは「ガバナンス」である。ガバナンスという用語は各方面で使われ、多くの研究者が実に多様な観点から論じている。「ガバメントからガバナンス」への転換は時代の流れであるが、本報告は極めて明確な問題意識に基づいたガバナンス分析であった。特に、国家ガバナンス論における2つの有力な理論であるネットワーク型ガバナンス論と新制度論的ガバナンス論を紹介しながら、これらの理論のローカル・レベルへの適用可能性についての考察は特筆すべきものである。 また外川氏は、ガバナンス構造の変化も明らかにし、1980年代以降、市場やネットワークがガバナンスにおいて重要な位置を占めるようになった点を歴史展開を中心に描き出している。さらに本報告は、NPM的ネットワークや相互依存関係をどう捉えるか、自治体政府とその政策をどう位置づけるかなどの興味深い問題をも明快に整理した貴重な報告であった。 外川氏の指摘の通り、国家レベルのガバナンス論をローカル・レベルへ応用しつつ、ローカル・ガバナンスの「分析理論」を漸進的に構築していくことが肝要である。本研究はそのための契機を与えており、ネットワーク型ガバナンス論と新制度論的ガバナンス論の融合につながり、なおかつ、わが国の行政学及び地方自治論におけるローカル・ガバナンス理論の発展に資する大変意義あるものと思われる。 両氏とも貴重な報告内容であり、関東都市学会の活動にふさわしい学際的なものであった。 「春季大会印象記(シンポジウム編)」 田中 傑(芝浦工業大学) 前段はまず、大矢根先生と浦野先生が日本における災害研究の歴史を述べたあと、吉川先生と福留先生が災害対応の現状を紹介した。 大矢根先生は日本における社会科学的な災害研究が1964年の新潟地震からスタートし、1979年の中央防災会議による東海地震の想定震源域の提示を契機として災害と防災情報のあり方に関する研究が、また1980年代以降の大規模ホテル火災や雲仙普賢岳噴火を契機として防災システムや災害への中長期的な対応のあり方に関する研究がそれぞれはじまり、その後、1995年の阪神淡路大震災を契機として研究領域が一挙に拡大したこと、近年は災害研究が対象とする領域が災害因の時間的な前後にひろがり、それにともなって過去の災害が社会に対して如何なるインパクトを与えたのかを歴史的教訓として捉えようとする動きが現れはじめたという整理を行った。 浦野先生は災害研究における阪神淡路大震災の歴史的意味を、われわれが過去に経験したごく基本的な地震災害のパターンをとったためにこそ、地震による破壊そのものではなく生活再建を可能にする条件や枠組みに対する注意を向けさせ、同時に災害に対する地域社会の脆弱性を浮き彫りにした点にあったと述べ、他方、自身がアメリカのDRCで在外研究をした際に見聞したハリケーン・カトリーナの事例をひきながら、災害への対応システムをいかに合理的に設計しても「減災」には限界があること、その点で地域社会のリスク対応力を高めておく必要性があることを指摘した。 吉川先生は自身のこれまでのコンサルタントとしての業務経験から、日本の復興行政が阪神大震災以降、かなり多義的なところまで扱うように変容しながらも、現状ではハード面の復興(行政が用意するポジティブな復興)を志向する論理が依然として強いとし、そうしたポジティブな復興ではなく、むしろネガティブな復興を探る想像力(創造力?)の必要性を指摘した。そして、このネガティブな復興シナリオからこそ、「事前復興」がスタートする、と述べた。福留先生は中越および中越沖の二つの震災に際し、商店主たちが行政側の動きの鈍いなか、まちづくりのビジョンを自ら考え、そこに専門家が色をつけるという「物語復興」を実践した柏崎市えんま通り商店街の事例、濃密な血縁関係がのこる農村社会における復興公営住宅のあり方など、より具体的な話題を提供した。 後段のディスカッションでは1)「防災」の領分が部局主義のために限定されてきたこと、2)その防災セクターが復興を担当するため、事前復興が都市計画のなかに位置づけられていること、3)「事前復興」が都市計画事業推進のためにする議論になってしまわないために「防災」と「事前復興」の重なる部 分、重ならない部分を峻別すべきこと、4)現在のような右肩下がりの社会情勢で何を評価軸に据えて復興のあり方を模索すべきか明らかではないこと、5)地域の回復力を考える際、経験的には住民間の信頼関係がカギとなることなどが議論された。 「災害復興の新しい地平」という抽象的なテーマ設定ゆえ、各議論が発散気味という印象を受けたため、別の機会に個別的・具体的テーマに絞っての議論を聞いてみたいと感じた。 |
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大会シンポジウムの様子 |
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■ 関東都市学会 例会が開催されました。 関東都市学会 2007年度 第2回 研究例会 開催日時 2008年3月15日(土) 15:00〜17:30 開催場所 財団法人東京市政調査会 5階第1会議室 報告 @「東京30q圏中核都市町田におけるマンション立地と居住構造の変化」 鈴木智氏(高崎市都市整備部都市施設課/高崎経済大学大学院在籍) A「戦後住宅理論の歴史性」(仮) 杉平敦氏(東京大学大学院) 【当日の様子−印象記から−】 研究例会雑感 川西崇行 去る3月15日の研究例会の第1題目、鈴木智氏の『東京30q圏中核都市町田におけるマンション立地と居住構造の変化』の印象記稿を依頼されたものの、正直困った。というのも、小生自身、先祖代々、典型的な都市零細民で、郊外での生活体験が全くないからである。偶々、授業のために郊外に足を向けることはあっても、住んだことがないのでは、郊外住宅も団地も本来、語れたものではない、運転免許も持っていないから、郊外に行くと至極不便な目に遭って帰ってくるのがせいぜい…とこういう案配故、半ば恥じ入り乍ら本稿を書くこととなった。 近年、超高層化の乱開発が峠を越した感のある都心三区に限らず、その周縁地域にまで、にじみ出すようにビヨビヨと高層の建物が建つようになってきた。 その周辺の街区は、至って普通の町場−そこにまとまった空き地が出来れば(をつくれば)穴でもうがつように、不作法に、法外に大きい建築が「合法的」に建つのである。拙宅近くの旧国際劇場裏の150mビル案(藤和不動産)、本郷赤門南隣の高層アパート問題(野村不動産)、同じく小石川の湯立坂マンション紛争(同)など、生活圏内でもこの始末、あちらこちらで、ビル・ラッシュである。 このような社会状況での今回の発表であるが、郊外地・町田市でも、乗換駅・一定の中枢機能を持った市街−あるいは駅至近などの利便のよい地所では、バブル以降−近年、分譲マンションの新築ラッシュがあり、高度成長以来のいわゆる「郊外住宅地」は、この十余年で4割近く大きく人口を減らしている場所もあるという。 旧来、郊外の戸建て住宅を選択してきた世代の価値観−「住宅」に対して求めるものと、こうした交通の利便を重視した、市街に新築される分譲マンションを選択する世代の価値観等の差異、親世代から分離してそういう機能利便重視の住戸を選択するという子供世代の行動などが、まず、大づかみにみえる。 一方、さらに、新築のマンション間でも、大規模乗換駅周辺等の密な市街に立地するもの、単に鉄道駅の機能に着目して建てられたもので、それぞれ、選択する側の「目論見」の違い、環境観の差−ひいては、市街立地のマンションの方が多世代の徒歩型、駅周辺立地のマンションは駐車場兼備の若い世代向き、という嗜好の別も明らかにされた。住宅の遷移・選好の変容が、二段階に披瀝されたということになろうか。 本発表では触れられなかった(捨象された)、分譲・賃貸・分譲賃貸の別、細かい土地の歴史などを考え合わせるとさらに複雑というか、陰影に富んだ立体的なものになる(発表中にも、元来町田市民の市内移動者(買い換え)の方が、周辺環境を重視するとの諸条件・考察もあった)のであろうが、一方、周辺・横浜市内などに比べて、町田市内が相対的に安価であるなどの実態に即した選好・動向をみると、「地霊」などどこかに吹き飛んでしまう、郊外における住宅選択の、非常に即物的・現実的な一面も、改めて垣間見ることができた。 町場の、良くも悪くも、様々な「因縁」−営々と土地に刻印された都市住民の生と死の影模様に絡め取られている小生などには、こうしたカラリとした移動−住宅の選択ができるだろうか、と考えると、今回のような非常に冷静な郊外論を聞く度に、非常に複雑な気持ちになるのはなぜだろうか。 関東都市学会研究例会印象記 平井太郎 毎朝、起き抜けに新聞の三面記事に目を通す。さまざまな事件が日々、記録されている。冬場、目につくものの一つに、火災の報道がある。痛ましいことに大抵、一家の大部分が逃げ遅れて亡くなっている。建材の変化で、延焼することが稀になった現在、火災は多く、住まいと家族のカタストロフとして現われる。同時に心づくことがある。カタストロフから垣間見える人びとの住まい、そして家族のカタチが、実に多様だということである。 私たちは日常の知、また研究の知のレベルでは、この社会の住まいがnDKといった方程式や、戸建て、マンションといった形態によるカテゴリに簡単に分類できると思っている。また、家族についても、「家族の個人化」などと言われているが、本質的には、それほど多様性を受け入れる視線を十分に持ち合わせてもいない。火事の記事は、そのような知と現実の落差を心づかせる。そして、私たちが当たり前のものとしてきた知そのものが、音を立ててカタストロフを来していることにも。しかし三面記事が日々、忘れ去られてゆくように、私たちはまだ、住まいや家族に対する新しい知を、たしかなものとして手にしていないのだ。 今回の研究報告は、そのような、この社会の住まいや家族に対する新しい知の手がかりを与えるものであった。 まず、鈴木智さんの「東京30km圏中核都市町田におけるマンション立地と居住特性」である。東京30km圏。町田市。東京という都市に関心のある人ならば、1983年2月15日の町田市立忠生中学校での傷害事件を思い出すかも知れない。1983年という年は、校内暴力のピークの一つである。東京近郊でその分布をプロットしてみると、歪んだ円環が浮かび上がってくる。その円環は、ある道路と重なっている。国道十六号。東京の軍事拠点を環状に結ぶ路線である。同時にこの歪な円環は、1960年代、大規模な集合住宅団地が造成されていった地帯でもあった。1983年はあの68年から、ちょうど15年を経た年にあたる。松山巌さんが指摘するように、大規模な団地で生まれ育った子どもたちが、義務教育を終える頃、暴力というかたちで自分たちの生きる実感を確かめていったのである。 それから25年。鈴木さんは、ふたたび町田に目を向ける。そして団地の空洞化を指摘するとともに、新たな現象に注目する。それは町田駅をはじめとする鉄道駅に近い場所での、マンションの建設ラッシュという現象である。鈴木さんは、そうしたマンションの住民の調査票を配り、人びとの出身や前住の地域や住宅形態に焦点を当て、移動や住み替えの実態を照らし出した。そのうえで鈴木さんは「言われているほどには、東京都心から郊外へという移動形態は多くない」、「大規模団地から駅近マンションへの住み替えも少ない」、「今後、団地への滞留や、団地と駅近との格差などの問題に対処してゆく必要がある」と結論づけていた。カテゴリのセッティング、データの処理、また解釈については、当日のフロアから重要な指摘が数多く出された。これに対して鈴木さんも速やかな応答を約束していた。したがってここでは、その応答を期待することにして反復せず、もう一つだけ論点を提起したい。 鈴木さんが指摘するように、今回の調査結果から浮かび上がるのは、住まいの場所やカタチをめぐる選択が一様に閉塞しているという印象である。鈴木さんはその閉塞の内部に、団地や駅近、町田や横浜といった微細な差異を見出してゆこうとするのだが、むしろ私たちが向き合うべきは、閉塞そのものではないだろうか。その閉塞は、1983年にすでに校内暴力の激発というかたちをとって現われていたが、それから25年経った現在、解消されるどころか再生産、再々生産されつつある。 もちろんその閉塞が、都市計画や産業計画をはじめとする社会経済制度によって生み出されたものであることは言うまでもない。だから鈴木さんの示唆するように、「住み替えを促すような計画的な配慮が必要」という視点が提起されても不思議ではない。しかしそのような「計画」という視点そのものによって、これまでの閉塞が生み出されたのであり、また、団地から駅近へというように、新たな閉塞が形を変えて再生産されることが危惧される。 むしろ本当に問題なのは、そのような計画に馴致され、自ら進んで住み替えてもなお町田へ町田へと内閉してゆく人びとの現実であり、そうした選択肢しか思い描けない想像力の貧困ではないだろうか。その意味では逆に、「計画」的な想像力から逸脱して、団地を終の棲家としようとしている人びとを、一方的に「弱者」と決め付けるのではなく、ポジティブに捉え返すこともできるだろう。そうした人びとを逸脱や弱者として捉えるのは、鈴木さんが批判的に取り上げているような、「都心から郊外へ」、「ライフサイクルに合わせて」住み替えるという、それ自体あまりにもステレオティピカルな知に拠りかかっているためである。むしろそうした知とは無縁な生き方が、現実に生まれつつあるのだ、と肯定することはできないのだろうか。 次に、杉平敦さんから「戦後住宅理論の歴史性:集合住宅・規格化住宅の理念を中心に」と題された報告があった。この報告は、私たちが現在住まいに抱いている、「住まいは私生活の場」という固定観念が、歴史的にかたちづくられたものにすぎない、という刺激的な命題を取扱っていた。しかもその歴史的な転換の日付が、これまでぼんやりとイメージされてきた、「戦後」あるいは「高度成長」といった時期に求められるのではない、というのである。その代わり、19世紀から20世紀への世紀の変わり目が、その日付なのだと、杉平さんは言う。長大な報告であったので、司会者の判断で、ここまでの部分で一旦、中括を行ない、自余については後日、あらためて機会が設けられることになった。したがってここでも中間的な論点しか示すことができない。 杉平さんが「住まいの私事化」の指標として求めるのは、一つには産業化の進行にともなう賃労働の浸透である。大量の工員や事務員といった単純労働者が生み出され、職住分離も進んでゆく。都市の下層民に、それまでまがりなりにもあった共同体的な紐帯も緩み、工員や事務員たちはそれぞれ核家族を営んで、私的に閉じてゆく。このような変化は都市部ばかりでなく、戦後より一層グローバルな商品作物市場に組み込まれていた農村部でも、本質的には同質な現象が見られるであろう。 そのうえで杉平さんのユニークなところは、「住まいの私事化」のもう一つの指標を、建築家・社会改良家たちによる「文化生活」運動に求めている点である。これまでこうした運動については、欧米の建築思想や社会思想の形式的な模倣にすぎないとか、社会への影響力としては限定的なものにすぎないとか、二次的な取扱いを受けてきた。これに対して杉平さんは、そもそも欧米の建築・社会思想そのものが産業化と不即不離でかたちづくられたものであり、である以上、産業化という背景を共有した日本でも本質的な意味を持ちえていた、と示唆するのである。このように一見、無関係のような経済的事実と文化的事実とを連関づける試みは、マルクスによって提起されて以来、さまざまな議論が積み重ねられてきている。特に、十九世紀から二十世紀にかけての産業化と芸術・文化との関係については、R・カイヨワの神話論を引き継ぎながら、W・ベンヤミンが大まかな見通しを与えている。杉平さんの仮説は、そのような大きな思想的試みに位置するものとして、今後も注目したい。 その試みが実を結ぶ道筋には、幾多の困難が待ち構えているだろう。当日フロアからも、「土地所有の断絶は戦前戦後にあった」、「核家族と大家族の断絶は高度成長期にあった」、「セクシュアリティをめぐる断絶は高度成長期以降のものである」など、重要な異論が多数示された。これらの問題に一つひとつ解決が与えられたとき、杉平さんの試みは、たんなる住まいや家族をめぐる次元にとどまるのではなく、資本主義のもとで生きるということそのものを捉えるような、大きな広がりを持つことになると期待された。 |
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■ 関東都市学会 秋季大会が開催されました。 関東都市学会2007年度秋季大会概要 【開催日】 2007年(平成19年)10月7日(日) 【開催地】 山梨県甲府市 山梨学院大学 【シンポジウムテーマ】 市町村合併後のコミュニティ施策 市町村合併や地方自治の進展とともに、都市部でも農村部でもコミュニティ組織の重要性が増してきています。とくに周辺町村が都市部と合併して新しい都市自治体を形成することとなり、それに伴ってコミュニティ施策の統一が必要となっています。これまでばらばらであったコミュニティ施策をどのようにするのか、合併の効率化をいかに実現しようとするのか、などの問題が出ています。合併後のコミュニティ施策を検討するとともに、大都市部のそれとどこが違うのかなどを検討します。 【プログラム】 10:00−12:30 エクスカーション ・「トンネルワインカーブ」見学 (廃線になったトンネルを利用したワイン貯蔵庫) ・「勝沼ぶどうの丘」 (甲州市立のワイン販売などの複合施設) 14:00−17:30 シンポジウム「市町村合併後のコミュニティ施策」 場所:山梨学院大学クリスタルタワー 6階生涯学習センター講義室 コーディネーター 井上繁(常磐大学) パネリスト 甲州市職員 <甲州市のまちづくり> 中井道夫 (山梨学院大学) <山梨のコミュニティ施策> 檜槇 貢 (弘前大学) <弘前周辺のコミュニティ施策> 大内田鶴子(江戸川大学) <都市部のコミュニティ施策> 18:00−19:30 懇親会 【当日の様子―大会印象記から―】 関東都市学会秋季大会印象記―エクスカーションを中心に― 熊本 博之(早稲田大学) 2007年度の秋季大会は、爽やかな秋晴れのもと、勝沼ぶどう郷駅からはじまった。駅から出るとすぐに、薄霧のなか眼前に広がるぶどうの木々に目を奪われる。 まずはエクスカーションとして、大日影トンネル遊歩道を歩く。遊歩道に向かう途中に古い電車の車両が展示してあり、某会員の思わぬ蘊蓄がこぼれだす。 中央本線大日影トンネルは、1902年に開通し、1997年に廃線になった、全長1367.8メートルのトンネル。壁面はすべてレンガで覆われており、ぶどうやワインの輸送に長く利用されてきた。この、レンガ造りの美しい景観を活用するべく、国土交通省まちづくり交付金を用いて整備し、遊歩道としての活用を開始したのが2007年3月のこと。圧倒的なレンガの数に、鉄道への思い入れがさほどない私でも十分に楽しめたのだが、「鉄分」の高い会員の方々にとっては、当時の鉄道標識がそのまま残されていたり、全国的にもめずらしいトンネル内水路がはしっていたりと、見所満載であったことと思われる。 さらに遊歩道を抜けた先にある深沢トンネル(全長1100メートル)は、自然の状態で適温に保たれた環境を生かして2005年5月にワインカーヴとして生まれ変わっており、ワイナリーや個人オーナーの貯蔵庫として活用されている。このワインの保管料が、安定的な収益になっているという。 続いて、甲州市で用意していただいた車に分乗し、ぶどう畑を横目にみながら「勝沼ぶどうの丘」へ。こちらでは、地下のワインカーヴに貯蔵してある約150銘柄の地元産ワインを有料で試飲することが可能となっており、ワイン好きにはたまらない施設なのだが、時間の関係と、もちろん午後のシンポジウムのために、見学だけにとどめる…。日曜日ということもあって多くの観光客で賑わっていたが、年間の利用客が約30万人で、併設してあるホテルの利用客も約10万人、稼働率はおおよそ8割とのこと。ゼロから新しい観光地をつくるのではなく、既存の施設や地域の歴史、文化を活用しながら、これだけの観光客を集めている甲州市の取り組みに、学ぶべき点は多いと感じた。 山梨学院大学に移動してのシンポジウムは、会員のほか、甲州市でさまざまな活動をなされている市民の方々も出席されており、また報告者に甲州市の職員を迎えるなど、私がこれまでに参加してきた学会とはやや趣の異なる、実に興味深いものであった。個々の報告についての紹介は浅野会員の印象記に譲るが、市町村合併による行政区画の拡大に、行政や住民がいかに対応していくのか、その実践の在り方や向かうべき方向性について、地に足のついた活発な議論が展開されたのは、甲州市の方々の参加があったからに他ならない。このような機会を用意していただいた会場校のスタッフの皆様に、改めて感謝したい。 ただ一点だけ、少し残念だったのは、エクスカーションとシンポジウムとのつながりを意識した議論があまりできなかったこと。もちろん、シンポジウムのテーマが「市町村合併後のコミュニティ施策」であったので、これは無理な注文ではあるのだけれど、それぞれがすばらしい企画であっただけに、ついそんな贅沢なことを考えてしまった。 蛇足ながら、私個人にとって特に印象に残っているのは、会場校最寄りの酒折駅に向かう中央本線からみた甲州盆地の風景。広大な平地には、甲州市をはじめ、山梨市や韮崎市など複数の自治体が含まれているのだが、そこにはもちろん区切りの線は見えない。市町村の合併とはまた別の次元で、地理的な地域社会のつながりがあるという当たり前のことを思い出させてくれる、象徴的な光景であった。 関東都市学会秋季大会シンポジウム印象記 浅野幸子(全国地域婦人団体連絡協議会) シンポジウムのテーマは「市町村合併後のコミュニティ施策」で、平成の大合併後の、地域自治・コミュニティ運営や施策状況と課題について議論が交わされた。 最初は甲州市総務企画部の荻原宗氏からの報告で「甲州市の地域ガバナンス」。甲州市(人口約3万7千人)は、旧塩山市、旧勝沼町、旧大和村1市1町1村の合併により平成17年に誕生したが、旧塩山市が人口・面積ともに圧倒的に大きい。合併後は三層構造の仕組みづくりを進めている(自治会・区・組の基礎的コミュニティ単位/生活に密着した行政機能を発揮させる旧町村域/政策機能・地域戦略機能を担う自治体全域)。山梨学院大学の中井道夫会員からは、荻原氏の報告を肉付ける形で「山梨県内自治体における合併後のコミュニティ施策の変化」としてコミュニティ施策の変化について検討が行われたが、単位自治会と地区連合自治会の2段階構成は、合併前後で変わらず、広域化してもこの構造を柱に再編しているため、単位自治会の現状は変わらないという。 弘前大学の檜槇貢会員は「地域格差の大きい市町村合併のコミュニティ対応」として、青森県平川市(人口約3万5千人)の事例を報告。黒石市と隣接し市街化の進んだ旧尾上町、弘前市に隣接した農業地域の旧平賀町、平賀町と稜線で隣接する中山間地の旧碇ヶ関村の2町1村合併だ。旧町村の町会運営の比較や行政対応を概観した上で、防災行政無線の統一化の難しさ(地域性・社会性の違いから統一には多大な整備費がかかる)を事例に、地域間格差の大きさとその是正困難さが示唆された。 江戸川大学の大内田鶴子会員からは、アメリカのネイバーフッド組織と日本の町内会の比較がなされ、宝塚市の先進的なまちづくり協議会方式が紹介された(小学校区をベースに、単位自治会とPTA・社会福祉協議会・各種団体・青少年育成団体・NPOからなるまちづくり推進委員会を設置)。日本のコミュニティ組織も、自治体の下に自動的に組み入れられたピラミッド型の構造を断ち切り、コミュニケーション型、プロセス志向のコミュニティを目指すべきとの提起があった。 地域間格差を抱えたままの合併は決して特殊なケースではない。コミュニティ施策の一体化は有効か、負担とサービス面で住民間の不平等が生じないか、財政的効率性が今後も保てるか、地域内分権の可能性はあってもどう決断するのか、リスクはないか、新たな地域区分による施策展開はあるのか、との檜槇会員の論点整理は大変わかりやすい。「塩山市の基礎的地域単位はもう少し小さくてもよかったかもしれない」との発言や、平川市の中山間地で集落の維持も難しい地区の例からも、コミュニティの単位をどう捉えるべきかは容易な課題ではないことが理解できる。ドイツ都市部の自治体内分権の例でも、人口規模等により住民の意思の政策への反映度に差があることが指摘されている(名和田是彦『コミュニティの法理論』)。 ただし質疑では自治会への補助金情報が表に出て透明化された、担い手の若返りがみられ変化も期待されるなど、新たな自治のありようが生まれる可能性も論じられた。実は地域婦人会も市町村合併により全国で大変苦労の多い組織再編を経験したが、メリットもデメリットもあった(行政と距離の変化、会員が増えた、解散した、婦人会が復活したなど)。小地域単位のアイデンティティを大切に、活動の質を高めることを中心とし、しなやかで開かれた足腰の強い組織を目指していくのみである。 あたらしい自治の形とその力を引き出すコミュニティ施策の模索が、いま全国で始まっている。困難は大きいが、豊富な国内外の事例が地域研究者の中に蓄積されている。現場の活動と専門的知識とが、次の時代のくらしの場を切り拓いていくにちがいない。現場を支援する立場の人間として勇気をもらうことができた。 |
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![]() 大会当日のエクスカーションの様子 |
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![]() 大会シンポジウムの様子 |
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○ 2006年度 関東都市学会 秋季大会が開催されました。 ■ 関東都市学会2006年度秋季大会 ■ テーマ: "美の条例"のつぎの展開〜人口減少社会におけるまちづくり〜 ■ 開催日: 2006年(平成18年)12月2日(土) ■ 開催地: 神奈川県真鶴町 ■ 主催 : 関東都市学会 ■ 後援: 真鶴町(真鶴町町村合併50周年記念事業) ■ プログラム 午前:エクスカーション 午後:シンポジウム「美の条例のつぎの展開〜人口減少社会におけるまちづくり〜」 コーディネーター 井上繁(常磐大学) 討論者 青木健 (真鶴町長) 秋田典子 (東京大学) 「真鶴町のまちづくりの課題―美の条例を乗り越えて」 藤田弘夫 (慶応義塾大学) 「地方分権と中小都市」 名和田是彦(法政大学) 「協働の時代におけるまちづくり条例」 高岡文章 (福岡女学院大学)「観光は地域を救うか―観光まちづくり(論)の検討」 夕方:懇親会 ■ シンポジウム解題 わが国の人口は、2005年に統計開始以来始めて減少に転じ、合計特殊出生率も5年間連続で減少して1.25となり、今後急激な人口の減少が見込まれている。 本シンポジウムは、こうした人口減少社会におけるわが国の自治体レベルのまちづくりのあり方を、@地方分権、A景観法に代表されるような自治体独自の開発コントロールの手法、B観光とまちづくり、Cコミュニティおよび住民参加という4つの視点から照射し、立体的な像として映し出すことを目的としている。 本シンポジウムが開催される真鶴町は、1993年に自治体独自のまちづくりの手段として、「美の原則(美の基準)」を開発の基準とする「真鶴町まちづくり条例」を制定し、先進的な景観づくり・まちづくりを実施してきた自治体である。しかしながら、条例が制定されてから現在までの約10年間に、住民参加や地方分権の推進、景観法の制定等、まちづくりを取り巻く環境が大きく変化している。このため制定時には先進的・斬新であった真鶴町まちづくり条例も、相対的な制度の陳腐化に晒されつつあり、またまちづくり条例だけではカバーしきれないまちづくりの領域も広がりつつある。 そこで本シンポジウムでは、真鶴町が"美の条例"を乗り越えて、真の「美のまちづくり」を実現しうる新たなステップに進むために取り組むべきことについて、人口減少社会におけるまちづくりという視点から議論したいと考えている。当然、そのためにはまちづくり条例の更新や景観法の活用、まちづくり条例以外の多様な取り組み、すなわち観光等による地域の活性化や住民参加のシステムの構築、各種法制度の活用等の総合的な観点からの検討が不可欠である。真鶴町は10年間のまちづくり条例の運用を通じて、こうした新たなまちづくりを実現しうる環境を醸成してきたとも言える。本シンポジウムを通じて、真鶴町が新たなまちづくりのステージに立つために目指すべき方向性を提示したい。 (秋田典子会員) ■ 印象記 秋季大会シンポジウム印象記 柴田彩千子(帝京大学) 2006年12月2日、真鶴町民センターにおいて、「美の条例のつぎの展開―人口減少社会におけるまちづくり―」と題されたシンポジウムが行われた。シンポジウムでは主に次の2点をめぐって議論が進められた。1つには、「美の条例」と呼ばれる「真鶴町まちづくり条例」を13年前に制定した真鶴町のまちづくりの取り組みと今後の方向性について。2つには、真鶴町も含む各地の人口減少化する自治体に求められる、まちづくりの手法についてであった。 シンポジウムは、まず青木健真鶴町長の基調講演からスタートした。住民投票によって近隣市町村との合併の道を選択しなかった真鶴町の町政について、紹介された。真鶴町の町政のスタンスは、「ある物探し」というものであったと思う。既存のまちづくり資源を見直し、それを活用していこうという価値観に基づいて行われている多様な取り組みの紹介があった。例えば、子どもたちの「総合的な学習の時間」などで実施される「海の体験学習」の取り組みは、美しい海に臨む立地条件を活かして実現され得る教育事業でもあり、観光事業でもあった。 秋田典子氏の「真鶴町のまちづくり〜美の条例を乗り越えて」では、真鶴町の13年間の取り組みの経過を3段階に時系列的に集約した。つまり、「美の原則」69のキーワードを制定したことによって、第1段階:真鶴町民への美に対する規範の提示、第2段階:波及、第3段階:浸透、というものであった。現段階では、この条例が町民へ浸透し始め、この規範に即して民間住宅を建設する町民も増えているという。そして、今後の「美のまちづくり」の方向性については、量的コントロールから質的コントロールへの転換が望ましいと指摘した。 名和田是彦氏の「協働の時代におけるまちづくり条例」では、今後のまちづくりの鍵として「協働」を挙げた。協働とは、「それぞれの自覚と責任の下に、その立場や特性を尊重し、協力して取り組むこと」と定義したうえで、「協働」型のまちづくりこそが、自治基本条例を制定する原動力となり、それを維持していく鍵であるから、秋田氏の指摘した「質的コントロール」を実現可能とするものも、より多くの町民による協議であると指摘した。それは、まちづくりについて協議する際に、二者よりも三者、三者よりも四者で実施し、協働型のまちづくりを実践していくには、町民がまちづくりに関与することを、町民の主体的な参画と捉えるよりも、その土地に住まう者としての当然の行為としてみなすことが必要であることを指摘した。こうした自治基本条例を広義に捉えた場合、福祉や教育の分野も含まれるので、住民のこうした認識が不可欠なのであろう。 藤田弘夫氏の「地方分権と中小都市」では、そもそも日本社会の根底に分権を阻止するような性格が潜んでいるのではないか、といった疑念から議論が出発し、日本社会の特性についてマクロな視点から論じられた。今回の分権化案は中央政府主導のものであることの矛盾を指摘し、条例から法律を変えるような仕組みの構築こそが、真の分権なのではないかといった自治体まちづくりの取り組みへのテーマを投げかけた。 高岡文章氏の「観光は地域を救うか〜まちづくりの検討」では、観光まちづくりの全国的な事例を紹介し、自治体にとっての持続可能な観光に必要な対応策とは何かについて検討した。高岡氏はいくつかその対応策を提示したが、例えば、スローライフ、スローフード、地産地消など、地方から全国へ発信され波及された価値観を創出することや、地域学(地元学)と観光の連動の必要性を指摘した。 以上、4名の議論の共通点として、まちづくりにおける「教育(学習)」といった視点をあげることができるであろう。ここでいう教育(学習)とは、フォーマルな教育に限定せずに、シンポジウムのなかでも論じられた地域学や、条例を制定する際に行われる住民の学習活動など、多岐にわたるものである。真鶴町の美の条例をはじめとする「条例」とは、自主立法である。身近な地域に生き甲斐(高齢化する地域によっては、死に甲斐というような価値観)を見出すために、「協働」の下に展開される条例の制定とその運用といった営為のなかに、多くの可能性が内在していることを認識できたような有意義なシンポジウムであった。 関東都市学会2006年度秋季大会 印象記 平井太郎(日本学術振興会特別研究員) 真鶴という美しい土地の名は、緩やかな弧の海岸線に突き出した半島の様を、真鶴の首に古人が見立てたものだという。われわれは駅から港まで、その鶴の胸を滑るように、二三十尺の高低差を下っていった。坂また坂、路地また路地である。道敷に擁壁に石が積まれている。この町は石の産地として知られてきた。箱根連山まで続く背後の山から岩を削り、海を隔てた遥かな都市へ送り出しながら、こうして自らの町も築いてきたのである。現実の鶴の肌は石の群れで覆われていたが、その石のひとつひとつの印象は冷たくなかった。 ひとしきり石畳と石垣の町を歩いた後、研究報告に耳を傾けた。「「美の条例」の次の展開――人口減少社会のまちづくり」という総題である。まず秋田典子さんの報告によると、「美の条例」についてより実効性を担保しながら、まちづくり全体に広げてゆけるかが今後の課題とのことだった。そうした方向への可能性のひとつとして次の名和田是彦さんは、コミュニティを法的主体として認知し、公的サーヴィスの一端を担わせる仕組みを示していた。ここでのコミュニティとは自然村がモデルのようである。さらにさまざまな方向性がありうることを、三番目の藤田弘夫さんもまた強調していた。最後に高岡文章さんが周到に整理したのは、そうした可能性のひとつ、「観光」という視点によるまちづくりがもたらす問題性についてであった。 高岡さんの報告は、「観光による町の活性化」がこの町をも巻き込みつつあるだけに考えさせられた。たしかに真鶴の現在の風景は、誰しもが認める「美」を体現してはいない。だがそこでの審美眼は、高岡さんのいう「画一化された視線」が内面化されたものにすぎない。この暴力的な視線によって、風景の良否が論じられ値づけされるのが、まさに生活世界の再編なのであろう。普通言われる「活性化」とは、そうした通俗的な意味や価値に順応して、自らの生活の場を満足したりまた商品化したりすることに他ならない。それは一見、より豊かでより満ち足りた生活のように思える。しかし商品世界にはモードというものがある。商品価値は永続もしないし無限に引き出せるものでもない。こうした暴力的な商品世界に、この土地の生活のすべてを巻き込ませる権利は誰ももたない。 その選択肢以外には「町」の将来はないという主張もあるだろう。だがそこでいう「町」とはたんに「役場」のことではないか。「役場」とは名和田さんの報告を裏側から読めば、自然村が法的主体の地位から滑り落ちた後、つまりたかだか日本近代百五十年の法的存在にすぎない。もちろんその間、とりわけ真鶴のように、二つの自然村が結合した小さな自治体では、生活世界に深く根ざしているのだろう。こうした「役場」の存在を相対化するためには、自然村をはじめ自生的な秩序を丹念に掘り起こさねばならない。そしてこの町には自生的な秩序の手がかりが無数に開かれている。石積みはどのような社会的秩序によって築かれ、維持されてきたのか。同じ問いを沿岸の漁撈にも丘陵の果樹園、林地にも発することができる。さらに家並みもまたその問いかけに答えてくれるだろう。ここは八十余年前の震災によって跡形もなく消え去った経験をもつからである。そのときどのような論理で家並みが再建されていったのか。秋田さんによれば「美の条例」は暗黙の規範として浸透しつつあるという。その今だからこそ、埋もれかけた暗黙知を紡ぎだして現在とすりあわせることができる。すでにある法的主体の象徴として「役場」を相対化したうえで、なおもこの町が、この土地が現代社会で生き抜いてゆくためには、法には拠らないもうひとつの社会秩序、すなわち自生的な秩序のそうした再生が求められている。 石積みは一人の意志や営為によってはなしえない。それは、この土地の人びとがたしかに想いを分ち、手を携えた、目に見える証なのである。見過ごしてしまいがちな風景の奥に、この町で生きてきた人びとの記憶が透かし見ること――「まちづくり」が現代性をもちうるとすれば、現在の生が綿々たる記憶の連鎖のうちにあることの覚醒あるいは顕現を措いて、他にはあるまい。そしてそのように永遠と現在が一瞬、交錯する出来事こそ、あえて呼ぶとすれば「美」なのであろう。 |
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![]() (写真:2006年度秋季大会の様子) |
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○ 関東都市学会 研究例会が開催されました。 ■ 2006年度 関東都市学会 第1回 研究例会 ■ 日 時: 2006年9月9日(土) 15:00〜17:30 ■ 場 所: 慶應義塾大学三田キャンパス 南館5階 D2051 ■ 報 告: 1)英国の地方分権改革―ヨーロッパ地方自治憲章の受容をめぐって 廣田 全男 氏(横浜市立大学国際総合科学部教授) 2)カウンティ政府研究の現在 千草 孝雄 氏(駿河台大学法学部教授) 廣田氏は憲法学がご専門で東京市政調査会におられた方です。千草会員は行政学がご専門です。お互い面識をお持ちの両先生に、英国・米国の地方自治をめぐってそれぞれお話頂きました。報告後は、米国・英国の地方自治の制度を中心に、参加者から絶え間なく質問があり、活発な会合となりました。当日の詳細の様子は、後日に印象記を公開いたしますので、そちらをご参照下さい。 ■ 印象記 例会雑感 川西崇行(早稲田大学) 去る九月九日午後、慶應義塾大学三田構内で、本年度第一回の研究例会が催された。テーマは海外における自治体の諸相−アメリカにおける基礎自治体としての「county」と広域行政、ヨーロッパにおける、独・仏など大陸系の地方自治システムと英米系の地方自治システムのすりあわせなど、市町村合併が「国策」として進められている我が国において、「その他の道」を考える材料として十二分に興味深いものがあった。 千草孝雄氏の「カウンティ政府研究の現在」では、従前「郡」と訳されてきた「county」の性格・役割をわかりやすく説かれ、授権システムなどアメリカの地方自治の基礎的な知識から、「county」が市街地(=city)を除く広範な自治体でありながら、地域によって、その役割・性格が多様で、一律に説明しがたいものであること(実際には、これに州・連邦が乗り、さらにシステムは複雑性を持つ、あるいは county の都市化による変質の問題など)がよく理解できた。 お話を伺ううちに、かつての東京における府・市−市会・郡部会に類似した「二層性」(この二重性は戦時体制で「都」一本にされて今に至る訳だが)に思いを馳せつつも、より粗放的(というのが妥当か否かは諸氏の判断に俟つ所だが)で多様な英米系の地方自治システムの面白さを強く感じた。 廣田全男氏の「英国の地方分権改革―ヨーロッパ地方自治憲章の受容をめぐって」では、欧州が「一つの家」になる過程で、先述した英米系の地方自治システムと、比較的我々にも馴染みのある大陸系の地方自治システムの「衝突」を、英国内の政治的な動向−「揺れ」を軸に明快に読み解かれた。 近年の「バラ・ディストリクト−カウンティ」の基礎的な構造の一層化、大都市広域行政体の廃止・創設など、英国の地方自治制度は非常にドラスティックな変動をみせているのみならず、歴史的な自治権の獲得プロセスなど国状が、英米系のそれと大陸系のそれが大きく異なっていることが非常に明快に判る。しかし「ヨーロッパ自治憲章」が一定の幅を持たせつつも「基礎自治体−広域自治体」の二層性を基礎的なモデルとする=大陸系のスタンダードを英国がどのように受容していくのか。今後の政権の政策判断のなかで今後も変化をみせていくものであろう。 今回、一つの話の軸となった、基礎自治体−就中「郡」的なものであるが、現在形骸化しているとはいえ、市部を除く町村の冠称=広域地名を示すものとして旧来馴染みのあるものであろう。その起源は中国の周朝(郡−県併置)から秦(郡>県)を経て隋唐迄置かれた行政単位であり、我が国でも律令制下、里の上位の行政単位とされ、さらに近代化に伴って1878(明治11)年、府・県の下位の行政単位とされた。が、「中二階」二重行政の弊を指摘されるなどして1923(大正12)年廃止され、それ以降は先に書いたように広域の地名として残存しているに過ぎない。 しかし、一種の広域地名・地域単位(例えば、選挙区との相関等)としての歴史性、一定の地理的まとまりは等閑視するべきものではなく、広域行政を考える上で、もう少し重要視されてもよい存在であるのではないか。 起債の問題など目先の「カネ」の問題に囚われがちであった今次の拙速な平成の市町村大合併によって、どこにあるかすら判らない自治体名称が粗製濫造され(≒地名の抹殺)、またその肥大化で基礎自治体としての機能の維持が今後懸念されている現況、例えば、合理的な地域としての「郡」の重要性などについて当初から視野を広げれば、或いは、今回話題となった米国の「county」にせよ、ヨーロッパ(大陸)における地方自治制度−小規模自治体+広域連合のような柔らかい制度の選択にせよ、もう少し、立体的な制度設計・選択が為される可能性があったのではないか、と悔やまれる。 例会印象記――英米の自治体論を聞いて―― 高橋一得(柏木学園高等学校) 平成18年9月9日、慶應義塾大学において、関東都市学会の研究例会が行われた。当日は、千草孝雄氏による「カウンティ政府研究の現在」、および廣田全男氏による「英国の地方分権改革―ヨーロッパ地方自治憲章の受容をめぐって」の二つの論題が報告された。千草報告がアメリカの、そして廣田報告がイギリスの、それぞれの地方自治を主題としており、結論を先取りすれば、この日の研究例会は比較自治体論とも云うべき趣を呈していた。 当日は、まず千草報告から始められた。千種報告は、そのタイトルにもあるようにアメリカの地方自治制度の根幹をなすカウンティ政府を巡る研究の現在の到達点を明らかにすることに主眼が置かれていた。今まで、カウンティ政府を対象とした研究は、カウンティ政府の自明性と凡庸さ、またその多様さゆえに研究が深化した状態とはいえなかったという。しかし、近年、カウンティ政府そのものが着目されるようになり、それに伴いカウンティ政府を巡る研究が活発化してきたという。その際、第一にカウンティ政府と司法、あるいは土地との関係の視点を、第二にカウンティ政府をどのように現代に適応させていくかという視点を、それぞれ念頭に置きながらカウンティ政府の研究は進められるべきだと締めくくられた。 続く廣田報告は、英国を舞台としてヨーロッパの地方自治憲章の受容過程を考察したものであった。「地方自治の母国」といわれている英国において、サッチャー政権とブレア政権とが、それぞれヨーロッパ地方自治憲章を、どのように受け止め、どのように受容していったかという点に主眼が置かれた。云うまでもなく地方自治のあり方は中央政府のあり方にも影響する。特にヨーロッパ地方自治憲章はドイツの地方自治の影響が強く、地方自治体の自主性を高める性質を持っているという。それゆえ、中央政府の権限強化の意図を持つ政権ではそれを受け入れることに難色を示す。サッチャー政権はそれであった。サッチャー政権は、ヨーロッパ地方自治憲章を批准しなかった。一方、ブレア政権は、ヨーロッパ地方自治憲章を批准した。ただし、ブレア政権が、多くの権限を地方自治体に委譲し、地方自治体の自主性を高めたのかといえば、そうとは言いきれないという。問題はブレア政権における地方自治への権限委譲と中央政府における統制のあり方なのである。廣田報告の重要な論点のひとつはこの点であった。ブレア政権において、地方自治の統制の方法がベストバリュー制度であり、包括的業務評価制度であった。すなわち、地方自治の自主性を高めながら、その業績を中央政府が「評価」をする点がブレア政権の地方自治の統制方法であり、地方自治の特質といえる。結論として現代のイギリスにおいて地方自治、地方分権の動きは中央主権主義からの完全な脱皮はまだ十分ではないという評価で終わった。 こうした両報告には、我が国の地方自治制度を考える際に二つの問題点を提起した。第一に、このような米英の事例が我が国の地方自治体論に対し示唆を与えてくれる可能性を多分に含んでいるということである。我が国の地方自治体も「平成の大合併」が一段落し、今後どのような地方自治体のあり方を形づくるか、といった点において米英の事例は少なからず参考になると考えられる。第二に、地方自治を比較する上で、その背景となる文化的差異までを考慮に入れて考えるという視点である。特にカウンティ政府に関する議論において、アメリカの地方自治の捉え方にフロアが困惑した原因は、地方自治制度の礎石となるそれぞれの国の文化の差異、地方自治を巡る捉え方の国家間の差異にあったといえる。それゆえ、この研究例会では地方自治をめぐる問いが、新たな地平の問いへと広がる可能性を示したといえるであろう。いずれにせよ、地方自治を多面的に捉える機会を与えてくれる有意義な例会であった。 |
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![]() (写真)研究例会の様子(06年9月11日) |
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○ 関東都市学会 春季大会が開催されました。 ■ 関東都市学会春季大会 2006年度 春季大会 ■ 日 時: 2006年5月20日(土) 13:00〜17:50 ■ 場 所: 日本女子大学目白キャンパス 百年館低層棟2階 百207番教室 ■ プログラム 13:00〜14:30 自由報告 「J-Popの中のご当地ソング」 増淵敏之 氏(東京大学大学院) 「公共上映と地域再生」 張智恩 氏 (東京大学大学院) 「『日本型公共政策』の特質解明―地方財政構造・地域経済政策の分析から―」 金子憲 氏(秋田経済法科大学) 14:40〜17:40 シンポジウム 【テーマ】<都市のかたちは何を映すのか?―三信ビルは物語る―> 【解題】鈴木 貴宇 氏(東京大学大学院、本シンポジウムコーディネーター) 「都市の過去・現在・未来:歴史は都市の更新にどう関与するか」 【報告】 「活かされる歴史、失われる記憶:『都市再生』論議と再開発」 上野 淳子 氏(上智大学大学院) 「『三信ビル保存プロジェクト』について」 浦川 和也 氏(三信ビル保存プロジェクト発起人) 「現代都市における歴史の露頭:日比谷・三信ビルをめぐる社会地誌の試み」 平井 太郎 氏(日本学術振興会) 【コメンテーター】 初田亨(工学院大学) 松山巖(作家・評論家) 総会 17:40〜17:50 懇親会 18:30〜20:30 ■ 大会印象記 三信ビルをめぐる物語 ―関東都市学会春季大会シンポジウム印象記― 高岡文章(福岡女学院大学) 一つのビルの解体。それは利害や関心により、異なる物語としてあらわれる。ある者にとっては記憶の拠り所の喪失であり、ある者にとっては混迷する景観行政の象徴となるだろう。ある者にとってはさらなる開発や刷新のためのプロセスに過ぎず、ある者の目には現代都市における平凡な出来事に映る。 このたびのシンポジウムは、東京日比谷の三信ビル解体計画および保存プロジェクトをテーマとした。更新されていく都市の相貌と、そこに集う人びとの記憶や想像力とは、どのようにつなぎあわされ、すれ違うのか。不動産業者によるビル解体・跡地再開発という頑なな現実に対し、「よそ者」はいかに介入できるのか。 上野淳子氏による報告は、進行中の「都市再生」プロジェクトが帰結として所得の高い地域にのみ恩恵をもたらしており、格差構造が空間的に再生産されていることを明らかにする。また、六本木、丸の内、汐留、表参道といった地域では、都市再開発そのものがメディアイベント化していることが指摘される。都市への欲望が次々と商品化され、人びとの想像力からは「都市とは何か」を問う契機が抜け落ちていく。人びとの暮らしや活動の蓄積であるはずの歴史が、東京という都市においては開発にとって都合のよいシンボルであり、経済資源の一つに過ぎなくなる。都市再生や都市再開発によって何がもたらされるのかを上野氏は問う。 東京という都市が置かれている政治経済的構造への見取図を与える上野報告に続いて、浦川和也氏は三信ビルという建物そのものに焦点をあてる。ビル解体計画の報に接し、浦川氏は保存プロジェクトを立ち上げる。それは、従来型の凍結保存ではなく、特定街区制度を利用し周辺地区を含めて一体的に開発することで三信ビルを保存するという斬新なもので、一級建築士である氏は自ら再開発プランを設計し、所有者や自治体へと提案する。氏の精力的な活動が耳目を集めたことは、保存にして開発にしても、対象物の所有者以外の「よそ者」が価値観を呈示し、知恵を出し、戦略を練り、具体的な提言をすることがいかに稀有なことであるかを逆照射している。同種の問題に対して例えば大学(あるいは学会)は何をしてきたのか、何ができるのか。氏の試みはそのことを問うている。 「よそ者」にできること。その一つは、道具化される都市や資源化される歴史に、それとは異なるいくつもの物語を対置することであろう。平井太郎氏は、三信ビルおよび日比谷という場所にまつわる記憶を歴史の淵から掘り起こし、場所や建物への想像力を呼び覚ます。この土地をめぐっては、これまでにもさまざまなプロジェクトが仕掛けられてきた。しかし、国家の意志や資本の運動といった強い風が吹き抜ける傍らで、人は何気なくそこに生き、歩き、集い、たくらみ、夢を見た。そのような無数の物語を丹念に拾い出すことで氏は、「保存か開発か」の岐路に立つ哀れな建築物としての三信ビルに、いや三信ビルをそのように捉えてしまうわれわれの想像力に対し別の契機を与える。 さまざまな物語にどのように耳を傾けるのか。そこからまた新しい物語が始まっていくだろう。 「都市のかたちは何を映すのか−三信ビルは物語る」 が、"問うもの" −シンポジウム印象記− 和田清美(首都大学東京) まず、最初に言いたいのは、2006年度春季大会シンポジウムの、「三信ビル」保存プロジェクト運動を軸とする上野淳子氏、浦河和也氏、平井太郎氏のお三方のご報告、これに都市建築史家の初田亨氏と、作家・評論家の松山巌氏のお二人がコメンテーターとして並ぶ、そのプログラムに強く期待したのは筆者だけではなかったのであろう。事実、私同様にこのシンポジウムに期待して参加した人数は、近年の大会の参加人数を優に超えるものであった。シンポジウムの内容は、企画発案者であり司会者でもある鈴木貴宇氏のご努力と相まって、すぐれて充実したものとなった。その感動的なシンポジウムの本印象記では、紙幅の都合からそのすべてを紹介できないのが、残念である。フロア−からの意見や質問を入れて、筆者なりの1,2の文字どおり「印象」を述べることとする。 さて、テーマ設定それ自体は、昨年のシンポジウムを引き継ぐものであるが、この1年ます ます加熱化する都市再生事業に、1980年代バブル期の都市再開発ブームが重なり危機感をもつのは筆者だけではないであろう。こうした状況の打破に、いかなる組織化の手立てと戦略が考えられるか、この課題に、「三信ビル」保存プロジェクト運動を軸とする「都市の歴史」のもつ意味、視点から果敢に挑んだのが、本シンポジウムであったと筆者は理解している。この点、第1報告者の上野淳子氏の「活かされる歴史、失われる記憶:『都市再生』論議と再開発」では、1999年以降の「都市再生政策」のもつ問題点を「短期的、直接的影響」としながら、その打破を「象徴をもちいた空間形成」とし、保全される「歴史」を提起した。その上で、浦川和也氏は自身が進めている「三信ビル」保存プロジェクト運動の展開を紹介し、さらにその歴史的意味を、平井太郎氏が「現代都市における歴史の露頭−日比谷・三信ビルをめぐる社会地誌の試み」と題して報告した。コメンテーターのお二人は、初田亨氏は都市建築史の立場から、松山巌氏の作家・評論家の立場から、「三信ビル」保存プロジェクト運動のもつ歴史文化的、社会運動論的意義を論じた。この点筆者も賛同する。 しかしながら、それでもなお、先に指摘した現行の「都市再生政策」に対抗する組織化の手立てと戦術が、本シンポジウムにおいて解明されたと言い難い。具体的に言えば、「三信ビル保存プロジェクト運動」を今度どのように広げ、この運動のもつ歴史文化的、社会運動的意味を、2000年以降再び国家主導で進められている、「都市再生政策」への対抗的手立てと戦術として、普遍化できるかという一点にかかっていることは明らかになった。 筆者はあのバブル期東京の都市再開発と地価高騰問題をきっかけに都市研究を始めた者であるが、つい先頃昨年の地価はバブル期以来の上昇を記録したとの報道を聞き、この国の政策担当者は再びバブル期の惨劇を繰り返すのかとの思いを強くした。それだからこそ、学会の知恵を結集して、この課題に取り組む必要性があると痛感してきた。これは大変難しい課題あるが、そのあるべき方策の萌芽のいくつかが、筆者の期待どおり後半の討論の中にはあったと思う。例示すれば、その一つは石黒哲郎氏からの発言である。石黒氏は現行の「都市再生プロジェクト」は2001年の「都市再生本部」設置で突如出てきたものではなく、それ以前の都市再開発事業と非連続ではないことを指摘された。このことは都市政策の連続性、すなわち政策の歴史分析の必要性を示唆されたものであると筆者は理解した。また、会場の何人かの方からの発言から一つを拾えば、「三信ビル」保存プロジェクトの運 動がその歴史文化的意義の故に、居住民だけでなく、そこを訪れ利用する人々を巻き込んだ全国的拡がりをもって展開している事実の指摘である。そこに上野氏の言う「歴史の選別」が働いているとの批判もあろうが、一地域の個別利害を超えた、より拡がりをもった運動の展開にはこうした価値の共有とそれに基づく組織化が望まれる。この点「三信ビル」保存プロジェクトの運動論的意味は大きいとあらためて教えられた。 |
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(写真:大会の様子(1) 当日は、100名を越える参加者があり、大変盛況な会合となりました。) (写真:大会の様子(2) 真剣に討論するパネリスト。左側より、コーディネーターの鈴木会員、コメンテーターの初田氏、松山氏、報告者の浦川氏、上野氏、平井氏)) |
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○ 関東都市学会 研究例会が開催されました。 ■ 開催日時 平成18年3月11日(土) 15:00〜17:30 ■ 開催場所 東京市政調査会 5階第1会議室 ■ 報告 「行政サービスに対する『住民満足度』測定の有用性の検討」 小林敦子氏(鶴ヶ島市役所・日本大学大学院研究生) 「大都市における地域性と都市行政のあり方に関する研究 −東京城南工業地域の地域・産業構造の特質の分析から」 和田清美氏(首都大学東京 准教授) ■ 例会印象記 山田賢司(慶應義塾大学大学院) さる平成18年3月11日(土)、東京市政調査会において、関東都市学会の研究例会が行われた。報告者は、小林敦子氏と和田清美氏の2名であった。そのうち前者の小林敦子氏(日本大学大学院)の報告は、「行政サービスにおける『住民満足度』に関する研究:地方自治に関する心理学的方略の検討」と題して行われた。 その概要であるが、自治体の財政事情の悪化、地方分権の推進、市民社会の成熟などを背景に、行政の施策を統一的な形で評価し、その結果を新たな行政運営に反映させる行政評価が必要であるという問題意識のもと、客観的で数量化された形の行政評価が、いかにして可能となるのかを検討するのが、本報告の主たる目的であったように思われる。具体的には、2004年にX県Y市で実施された住民満足度調査(ランダムサンプリングされた、市内在住の20歳以上の男女1000人が対象の質問紙調査)のデータをもとに、「各行政サービスに対する住民満足度」に関する複数の変数、「住みやすさ満足度」に関する変数、「定住志向性」に関する変数、そして「行政サービス満足感についての因子分析の結果(2因子)」という各変数間の因果関係を測定することで、行政評価についての有効な指標や尺度を導きだそうとするものであった。その結果、行政サービスへの満足度について、大きく「安全・快適サービス」と「健康・豊かサービス」という2因子に分類が可能であること、この2つに分類される満足度が、「住みやすさ満足度」に影響を与え、さらに「住みやすさ満足度」が「定住志向性」に影響を与えることなどが示された。 一方、本報告の内容に対しては、報告者本人が指摘したものも含めて、様々な論点が指摘された。それらを大別すると、(1)自治体主導で行われる「市民意識調査」の恣意性の問題、(2)調査や分析の方法に関する問題、(3)「公共性」の構造転換に関する問題の3つに区分できるのではないかと思われる。(1)は、本報告でデータとして使用した「住民満足度調査」というのは得てして、自治体(の首長)の意向に基づいた政策を行いやすくするための「方便」として行われる傾向があり、そうした調査のデータを学術研究のデータとしてどこまで適応できるかという問題であった。次に取り上げる(2)は、この(1)に起因する問題である。その(2)であるが、例えば質問紙調査における質問の仕方(「(…に)満足している」)がよくないという問題や、年齢や性別以外に調査対象者の属性に関わる部分の変数(例えば具体的な居住地域や経済力など)がないという問題、「住みやすさ」や「定住志向」に影響を与える変数として、この調査では想定されていない要素が入り込んでいる可能性があるのでないかという問題などが指摘された。本報告では、特に(2)に関する部分での議論が多かったように思われる。(2)に関して私は、各調査対象者の生活課題に関する変数がないために、個々の行政サービスが彼らにとってどれほどの切実さがあるのかを判別できないということ、そして各行政サービスに対する個人の切実度を統制した上での分析ができないという点が特に気になった。(3)は、この研究が単に行政の施策をよいかどうかを評価するというだけでなく、財政の逼迫や市民社会の成熟などという近年の傾向を考慮して、行政において何をどの程度までフォローするべきかあるいはするべきでないのか、また何を、行政よりも市民の側で率先して行うべきかについて議論するための材料にならないかという指摘である。確かにこの研究は、単なる「行政評価」の文脈だけではなく、行政と市民が互いにどのように関わり合いながら、パブリックな社会を運営していくのかという、より広い文脈に位置づけることが可能であるものと思われる。 率直に言って、今回の報告に対しては、必ずしも小林氏の関心に沿って設計されたわけではない、自治体主導の調査の限界を感じずにはいられなかった。しかし、だからといって今回の報告に意味がないわけではない。むしろ、こうした調査の問題点を洗いざらしに抽出し、その結果を踏まえて学問的に妥当といえる行政評価の手法を開発するということは意味のあることであり、今回の報告とその後の議論は、そのための大変有意義なステップになったのではないかと思われる。小林氏は今後、一つのサービスとその利用者に対象を絞った調査を計画しているとのことである。これは、「各行政サービスに対する個人の切実度を統制する」ための手段の一つであるといえる。今後の研究の進展を期待したい。 関東都市学会研究例会印象記 鈴木貴宇(東京大学大学院) 去る3月11日、日比谷の東京市政調査会で研究例会が行なわれた。2名の発表者の一人であった和田清美氏(首都大学東京)による研究報告「大都市における地域性と都市行政のあり方に関する研究―東京城南工業地域の地域・産業構造の特質の分析から―」について、内容紹介と興味深く感じられた点いくつかを記す。 まず和田氏から本報告の背景が説明された。当日の報告は近々に発行される当学会年報 掲載の論文(「大都市における産業と地域社会の関係」)と問題意識および方法を共有しており、その基礎となった研究は東京都による特別研究費(東京都傾斜配分特別研究費:平成16年度)で行なわれたという。氏は「東京の地域社会構造とコミュニティ」をテーマに研究を続けてきており、その成果は既に『大都市東京の社会学:コミュニティから全体構造へ』(有信堂)としてまとめられてもいる。本報告は、こうした一連の研究蓄積を背景に、氏が長年対象としてきた都市における地域性の問題とその現状を、東京の大田区という場所から浮き彫りにするものであった。 表題にある「東京城南工業地域」とは品川・目黒・大田三区を指し、同地域は戦前から京浜工業地域の一角として、東京の産業的基盤を担ってきた。品川・目黒の製造業は90年代以降の国際化の流れに対応しきれず停滞の状況にあるが、大田区の製造業は集積技能・技術の高さ、また業種の特性によって、現在でも新たな展開が見られその様子は国内外から注目を集めている。近年、名古屋市のように中小企業の成長が目覚しい場所が活力ある大都市を形成していることから、氏は製造業が今日でも盛んな大田区に着目したという。 統計資料等は前述の論文に記載されているとのことで、本報告は氏が行なったヒアリングによる中小企業の実態分析を中心に進められた。ヒアリングは大田区大森にある特殊精密試作部品工場とメッキ加工工場の訪問調査によるもので、報告では特に中国人研修生の事例が取り上げられた。中国、韓国、フィリピンからの外国人労働者が増加している大田区では、同区が誇る高い技術修得を理由に来日している中国人実習生らが労働力を支えているという。こうした労働力のグローバル化が進む一方、彼らの日常生活は言語や習慣の違いを障壁とする閉塞感に覆われているとの問題点が指摘された。都内でも外国人労働者を多く抱える池袋・新宿地区では見られない、外国人労働者の孤立が大田区の場合は顕著だという。雇用面では着実に根を下ろしているかのように見える外国人との共生も、生活面では境界線を内包しているのが現状のようだ。 氏が感心を持つ「地域性」という観点からすると、大田区は都内でも独特の重層性―かつての漁師町、工業地区、そして住宅という三層構造―を抱える場所である。松山巖は羽田に残る穴守稲荷をめぐる数々のうわさを取り上げ、共同体の網の目が路地のかたちそのままに残された場所との分析を成したが(『うわさの遠近法』)、その残存する網の目が時に異邦人の存在を際立たせてしまうということはないのだろうか。池袋・新宿地区では考えられない孤立の状態に外国人労働者が置かれている、とのことだが、果たしてこれが同区の「地域性」に起因してしまうものなのか、はたまた行政の努力等で改善される類のものなのか。記憶に新しい、滋賀で起きた中国人女性による園児殺害事件のことも時折頭に浮かび、今日的な問題が集約する報告との印象を強くした。 |
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(写真:06年3月例会の様子) |
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○ 関東都市学会協力の研究会が開催されました。 都市研究の草分けP.ゲデス。彼が標榜した都市と大学の実践的関わりを実現してきた、ダンディー大学の研究者との研究交流が開催されました。 ■ 日時 1月28日(土) 16:00〜18:00 ■ 場所 東京大学駒場キャンパス18号館 2階会議室(京王井の頭線駒場東大前下車) ■ 講演 Deborah Peel氏 (スコットランドダンディー大学ゲデス研究所講師) "Work, Place, Folk in Scotland: the contemporary relevance of Patrick Geddes" ■ 主催 明日の都市再生研究会 ■ 協力 関東都市学会 ■ 印象記 研究会印象記 石井清輝(慶應義塾大学大学院) さる平成18年1月28日(土)、東京大学駒場キャンパスにおいて、Deborah Peel氏を招いた研究会が開催された。今回の研究会は、スコットランドダンディー大学ゲデス研究所講師であるPeel氏に、"Work,Place,Folk in Scotland:The Contemporary Relevance of Patrick Geddes"と題した報告をして頂いた。パトリック・ゲデス(1854~1932)は社会学者、地理学者、都市計画者、さらには教育学者としてもその名が知られている。Peel氏の報告は、このようなゲデスの多面的な研究活動・実践と、その現代性を問うという極めて興味深いものであった。ここでは氏の報告の要旨を、ゲデスの学際性、実践性の観点から整理し、研究会全体の印象についても記しておきたい。 Peel氏が繰り返し強調していたことの一つに、ゲデスの研究の学際性があげられる。ゲデスは、蛸壺的な専門研究を厳しく批判した。それは彼が、地域が抱える問題が非常に複雑なものであり、その問題を正確に認識し解決していくためには、専門分化された研究だけでは不十分だと考えていたためである。その学際性の主張は、彼の驚くほど広範な研究関心に裏づけられたものであった。彼は何よりも「ジェネラリスト」であろうとしたのである。 ゲデスは生物学から研究をスタートし、フランスを中心とする地理学の概念や研究手法を摂取し、生物学、地理学、社会学を総合した独自の都市学(civics)を提唱した。彼はこの都市学を軸に、地域の環境と社会過程の相互関係を考察し、社会変動に関与しうる社会科学を構想したのである。彼のこのような精神は、現在でもエジンバラに残る展望塔(outlook tower)に見ることができる。この塔は、観察のための道具であると同時に、ローカルな地域の生活が国、ヨーロッパ、さらには世界とどのような関連性にあるのかを人々に示そうとしたものであったという。ここでゲデスは、五感を活用して地域を総合的に認識し、各地域を他の地域との関連性の下に理解することの重要性を説いたのであった。 地域の質と地域間の関係を問うというゲデスの姿勢は、彼の主要な実践的な活動である地域計画においても一貫していた。ゲデスの地域計画の目的は、地域生活の実態と社会の流れを認識し、それを基礎に他地域、さらには世界との関連性を視野に入れた発展の方向性を明示することにあった。そこには、経済発展、生活環境、社会正義の間でのバランスを考慮した社会発展の方向性を探る、という研究と実践に関する極めて現在的な視点も含まれていたという。さらに彼の地域計画には、「市民参加」や「地域主義」、都市再生における「修復的手法」など、現在の地域計画においてしばしば取り上げられる概念も多く含まれていた、ということも指摘された。 報告後、なぜ都市社会学においてゲデスはほとんど取り上げられてこなかったのか、ゲデスの活動は具体的にはどのような形で残されているのか、など活発な質問がなされた。Peel氏によれば、ゲデスの研究と実践は、その文章の難解さや抽象性、進化論の問題、さらに当時の社会状況などもあり、必ずしも本人の望んだ通りには実現されておらず、また理解されても来なかったという。たしかにゲデスの文章は難解であり、その理解や普及を妨げる最大の原因になっている。しかし、それを踏まえた上で、彼の理念を理解し受け入れることができなかった時代や社会そのものについても考えていく必要があるだろう。 現在、学際性や研究と実践的な活動との結合の必要性が叫ばれているが、その方途は必ずしも明確ではない。Peel氏の報告は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、現在と同様の問題に果敢に取り組み苦闘したゲデスの姿と、その現代的な意義を鮮明に浮かび上がらせるものであった。ゲデスの研究には、現代に繋がる先駆的な模索が曖昧なまま、未だに数多く埋もれている。それをどのように継承し、現在という問題構成の中で発展させていくことができるのだろうか。このような課題への取り組みは、地域研究や地域計画の今後を展望する上で十分意義深いものとなるはずである。今後の展開に期待したい。 |
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○ 関東都市学会 秋季大会が開催されました。 ■ 2005年度関東都市学会 秋季大会 ■ テーマ 郊外居住の再生を考える:宇都宮市におけるニュータウンの現場から ■ 開催日 2005年(平成17年)11月26日(土) ■ 開催場所 さつきニュータウン・宇都宮市役所 ■ 主催 関東都市学会 ■ 後援:宇都宮市、さつきニュータウン自治会、下野新聞 ■ プログラム 【ウエルカム・セッション】 場所:宇都宮市・雀宮地区 ◎ 歓迎の挨拶 雀宮地区市民センター所長、さつきニュータウン自治会長 ◎ さつきニュータウンの現状と課題(大野邦雄) 【シンポジウム】 場所:宇都宮市役所12階会議室<BR> 14:00 開会 主催者挨拶 藤田弘夫(関東都市学会長、慶應義塾大学教授) 開催市長挨拶 佐藤栄一(宇都宮市長) 14:20 テーマ発題 宇都宮市で都市の郊外を考える意義 檜槇 貢(作新学院大学教授) 14:30 シンポジウム 東京100キロ圏の郊外住宅団地の課題 コーデイネーター 石川文子(下野新聞論説委員) 討論者(五十音順)宇都宮市建設部長(予定) 熊田俊郎(駿河台大学教授) 土居洋平(地域交流センター研究員) 戸所隆(高崎経済大学教授) 中井道夫(山梨学院大学教授)<BR> 三橋伸夫(宇都宮大学工学部教授)<BR> 17:00 閉会 大前道夫(宇都宮在住都市学会員) 17:30 懇親会 会場:市役所16階 ■ 印象記 関東都市学会秋季大会印象記 五十嵐泰正(日本学術振興会特別研究員) 「巣みよい街」として「世界遺産登録」を目指すという百年構想への意気込みを、力強く語ってくださった大野氏の案内によるさつきニュータウンの視察から、本大会は始まった。そこで会員諸氏は、隣町に通じる広域道路をあえて地区内に通さないというような、生活者視点での街づくりを進める地域の力を確認する一方で、高齢化と第二世代の流出により空き家が発生し、零細自営業以外の商店が定着できないというような困難を抱える現状を目にし、檜槙会員が設定した本シンポジウムの問題意識を共有したことだろう。その問題意識は、冒頭から、佐藤宇都宮市長の挨拶で、行政の論理からも的確に指摘されることになった。すなわち、今大会のテーマのひとつであるコンパクト・シティの構築とは、財政再建と都市間競争での勝ち残りという課題の両立を図る行政にとっては、伸びきった兵站を整理し、集中的・効率的な資源の投下をするために、焦眉の急の懸案であると。 その後は、森建設部長と三橋会員からご当地・宇都宮、熊田会員から飯能、戸所会員から高崎、中井会員から甲府を中心とした山梨と、「関東外周域」に位置づけられるそれぞれの地域の現状から見えてくる課題と展望が報告され、また、土居会員からは、郊外に住むということの現代的な意味が、第二世代の視点から問い直され、きわめて活発な議論が展開された。各地域からの報告は、一定の問題意識を共有しながらも、その位置づけと評価にさまざまな差異が見られたことは興味深い。それは確かに、第一義的には、東京からの距離の違いという実も蓋もない地理的条件に規定された、空間再編過程の中での位置取りに由来するものだろう。しかし、そうした構造決定論的な理解は、まったく一面的なものに過ぎないと、この日の討論に参加した会員諸氏は、再認識したのではないだろうか。たとえば、土居会員が、郊外に愛着を持つようになった第二世代の文化実践を、生き生きと示すとき。北関東に進出した企業が、「東京と地元の向いているのか」を、戸所会員が舌鋒鋭く問うとき。都市中間層の意識と行動様式を山梨に持ち込んだ新住民が、葛藤を繰り返しつつも地付き層を巻き込んだ住民運動を開始する経緯を、中井会員が丹念に追いかけるとき。そして何より、困難な環境の中でのさつきニュータウンの粘り強い歩みに触れたとき。会員諸氏は、高齢化・低成長の継続・グローバル化と厳しさを増す環境の中でも、企業活動からボランタリーな地域活動に至るまで、「やりようによっては、まだまだやれることはある」という思いを新たにしたのではないだろうか。その思いが最後に、全国的なネットワークを築きながら宇都宮で草の根の地域活動に長らく携わってきた大前会員による、「日本全土に燎原の火のように沸き立つ萌芽」に可能性を見出したいというコメントに代弁され、盛況のうちに大会は閉幕した。 石神裕之(日本学術振興会特別研究員) 今回の秋季大会は「郊外居住の再生を考える」というテーマで、2005年11月26日、穏やかな小春日和のなか、栃木県宇都宮市・雀宮地区市民センターおよび宇都宮市役所を会場として開催された。ここでは全体の概略を紹介しつつ、簡単な感想を述べたい。 最初にテーマについての現場感覚を共有することを目的として、雀宮地区市民センターにおいてウエルカム・セッションが行われた。まず雀宮地区市民センター所長ならびに視察場所である「さつきニュータウン」の自治会副会長より歓迎のご挨拶があり、その後、ニュータウン再生に向けたワーキングチームの大野邦夫氏より具体的なニュータウンの現状や今後の「100年計画」やプロムナード構想などについて、パワーポイントを駆使したプレゼンテーションがあった。昼食後、実際に「さつきニュータウン」へ視察に向かい、指摘されていたニュータウンへの狭隘な道路や計画途上の道路の実態、住宅・街区の様子、河川敷の状況などを実見した。その後宇都宮市役所に場所を移し、16階中会議室において14時半からシンポジウムが開かれた。まず藤田弘夫会長、佐藤栄一宇都宮市長のご挨拶の後、檜槇貢会員よりテーマの発議があり、各発表者(三橋伸夫・森賢一郎・土居洋平・熊田俊郎・戸所隆・中井道夫各氏〈発表順〉)の報告後、コーディネーター(石川文子氏)を含めた7名による討論を行った。 檜槇報告では、郊外住宅地の自立性の喪失や世代継承の失敗など郊外問題の諸課題が提示され、三橋報告、森報告では宇都宮市の特色(車社会・都市と周辺地域との接点の乏しさ)が指摘されたほか、佐藤市長も言及していたコンパクトシティ化についても指摘があった。その後の土居報告では、一昨年の春季大会における郊外に関する議論の整理がなされ、郊外意識の世代間の違いや郊外の定義などについて言及があった。次に熊田報告では、飯能市における住宅開発の経緯と現状の問題(潜在的な不良債権化しつつある住宅開発の実態)が指摘された。この点は戸所報告においても同様に、前橋ローズタウンといった大規模住宅開発の失敗やその背景としての東京再生について辛辣な指摘があった。他方、郊外再生のポイントとして教育や雇用の改善を挙げ、また地方都市の多核心型への転換と連携強化、企業の土着性や地域間での交流を高める必要性が指摘された。中井報告では甲府市周辺の住宅開発に伴う新規流入者と地元住民とのcultural conflictについての指摘があった。フロアからの質疑も活発で、郊外居住の問題への関心の高さを窺うことができた。 ここで少し一昨年の春季大会の報告と合わせて考えてみると、郊外居住の高齢化や空洞化はさつきニュータウンのみならず、どの地域でも共通した問題であるが、中沢高志が指摘したように、都心回帰という職住隣接の生活スタイルへの憧れがある一方で、親世代との近居や、就業場所としても都市との関わりを持たない郊外住民が増加しているという点は注目される(中沢2005)。そもそも郊外とは、若林幹夫が定義するように、「都市との関係で現れてくる領域であり社会であ」り (若林2000)、中沢が指摘するような状況は、郊外が中核都市との関係性を次第に失いつつあることを示唆しているといえる。それは言い換えれば、郊外の自立化がある意味で進んでいると指摘することもでき、最近流行の郊外大型店舗の増加はその反映ともいえよう。最近では中心市街地活性化のため、こうした郊外大型店の規制の動きもあり、都市と郊外の関係は新たな局面にあると言える。いずれにせよ、こうした郊外の自立性の高まりや郊外第二世代の動向が、今後の郊外居住のあり方にどのような影響を与えるのか興味のあるところであり、さらなる議論が期待されるものといえよう。 [参考文献] 中沢高志2005「郊外居住の地理的実在」『関東都市学会年報』第7号pp2-14 若林幹夫2000「都市と郊外の社会学」『「郊外」と現代社会』青弓社pp13-59 |
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○ 関東都市学会、例会が開催されました。 ■ 2005年度 関東都市学会 第1回 研究例会 ■ 開催日時:平成17年9月24日(土) 15:00〜17:30 ■ 開催場所:慶応義塾大学三田キャンパス 大学院校舎1階311 ■ 報告1 ■ 報告タイトル 「戦後再開発に見る施行者と権利関係者の都市計画論理 −新橋西口市街地改造事業の事例研究−」 ■ 報告者 初田香成(東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程) ■ 報告概要 新橋西口市街地改造事業(1963〜70)を取上げ、事業の制定過程や法の運用過程の議論を整理することで、高度成長期の日本の都市計画・再開発の特質の一端を明らかにすることを目的とする。新橋西口地区では1960年代までバラックの飲み屋街が建ち並んで繁栄し、一方でその権利関係の複雑さから、再開発にあたり地元の権利関係者と東京都の間で係争が勃発していた。ここではまず従来零細な地権者に対する救済措置として位置づけられてきた市街地改造事業が、実は地権者がほとんど残らないクリアランス事業に近い性格を持っていたことを明らかにする。一方その過程では、未だ再開発の事例が少なく官民ともに手探り状態の中、多主体の論理に基づく議論がなされ、それが実際の事業にフィードバックされていた。ここでは主に地元住民団体の代表がまとめた係争資料をもとに、戦後の再開発に見る施行者と権利関係者の都市計画論理を明らかにする。 ■ 報告2 ■ 報告タイトル 「近世遺跡の発掘にみる江戸のごみ処理 −リサイクル都市の虚実−」 ■ 報告者 石神裕之(日本学術振興会特別研究員) ■ 報告概要 これまで文献史料による研究成果からは、制度化されたごみ処理や生活財の再利用が指摘されてきた。それは循環型社会の先駆けとも評価されるが、一方で都内における近世遺跡の発掘調査からは、陶磁器、瓦、建材をはじめ大量の生活財の無秩序な廃棄が認められている。そこで本発表では、江戸遺跡から出土する遺物の重量データを基に、近世都市のごみ処理の実態を具体的に明らかにしたい。加えて遺跡を街の新たな資産として位置づけ、活用する方向性についても議論したい。 ■ 印象記 関東都市学会印象記 秋田典子(東京大学大学院) さる平成17年9月24日(土)、慶應義塾大学にて、関東都市学会の研究例会が開催された。今回の例会では「戦後の再開発に見る施行者と権利関係者の都市計画論理−新橋西口市街地改造事業の事例研究−」(東京大学大学院/初田香成氏)と、「近代遺跡からみた江戸のごみ処理−リサイクル都市の虚実−」(日本学術振興会特別研究員/石神裕之氏)の2氏による都市の歴史に関する報告が行われた。ここでは、後半の石神氏による報告を中心に、例会全体の印象も含めた当日の様子を報告したい。 まず、前半の初田氏の報告では、戦後の都市再開発がどのように進んだのかについて、新橋を事例として、商店主個人のレベルに落とし込んだ詳細な調査・研究に基づく報告が行われた。初田氏の報告は、戦前に強制疎開をせざるを得ず、戦後に新橋に帰ったところ闇市が形成されていて戻る場所がなくなっていた人々と、戦後、新橋に新しく入ってきて闇市を形成した人々との協調と対立の歴史を中心として、都市再開発に関わる概念や法律の誕生を縦糸に、再開発のモデルケースとしての東京都の関わりを横糸に、混乱した新橋市街地改造事業の経緯を立体的に解き明かすものであった。初田氏が古本屋で発見した寿司屋主人の個人のファイル等から、戦後の混乱期の再開発が力づくで行われていた状況が、生々しく浮き彫りにされた報告であった。 一方、後半の石神氏の報告は、初田氏の報告より時代をもう少し下った江戸期の都市の実態について、遺構のごみの重量の分析から明らかにしようとするものであり、「江戸はリサイクルを主体とした循環都市であった」とする近年の文献資料等による評価に対し、批判的な立場から具体的な考古学的資料に基づいて再検証を試みた報告であった。 石神氏は新宿区内の遺構から発掘された遺物の重量の計測結果から、町人地であっても武家地であってもごみの投棄が行われていたこと、特に武家地については雑多なごみの捨て方がされていたこと、また、瓦類と陶磁器類の重量の分析結果から、これらのごみについては分別処理を行っていた可能性があることを指摘している。更に、具体的な遺構の内容物の分析から、きれいに使えるものでも捨てられているものがあること、漆系の職人等の産業廃棄物にあたるものも遺構に捨てられていることが明らかにされている。江戸のごみ捨て場として知られている永代島へのごみの移動については、町人地ではごみの仮置き等による移動の可能性が示唆されたが、武家地ではそもそも回収業者がいたかどうかも不明であることが指摘された。 一方、遺構に残された遺物について、火災等による災害ごみと日常生活から発生する一般ごみとの区別が必要ではないかという指摘があったが、こうした分類が遺構調査では困難であり、今後の課題として提示された。また、壁土をとって穴が開いた土地を埋めることを目的としてごみを入れたり、居住として適していない悪い土地(斜面地など)にごみを捨てているのではないか等のさまざまな指摘があり、今後の研究の進展が大いに期待される報告であったと言える。 本研究例会の2報告は、都市の歴史をそこで活動する人々の営みの実態から読み解こうとするものであり、いずれも都市研究の基礎として位置づけられる重要な報告であった。両氏の今後の研究の状況について、改めて報告の機会が得られることを期待したい。 |
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○ 関東都市学会 研究例会が開催されました。 ■ 2004年度 関東都市学会 第2回 研究例会 ■ 開催日時:2005年3月12日(土) 15:00−17:30 ■ 開催場所:東京市政調査会 5階 第一会議室 ■ 報告 「景観形成におけるイマジナリーシンボルについて」 阿波秀貢氏(鰍`WA都市建築計画研究所) 「川崎の地域環境問題における漁業者の役割とその変貌」 香川雄一氏(明治学院大学非常勤講師) 【研究例会印象記】 研究例会印象記―景観形成の主体をめぐって 執筆者:土居洋平(地域交流センター) さる平成17年3月12日(土)、東京市政調査会において関東都市学会の研究例会が開催された。今回の例会では「景観形成におけるイマジナリーシンボル」(晦WA都市・建築研究所/阿波秀貢氏)と、「川崎の地域環境問題における漁業者の役割とその変貌」(明治学院大学非常勤講師/香川雄一氏)という、一見すると関連性の薄い2つの報告が行われた。ここでは、前半の阿波報告を中心に、例会全体の印象も含めた当日の様子を報告したい。 阿波報告の前半においては、長野県小布施町の事例をもとに、特定の象徴的なイメージを軸に地域全体で景観の形成をする手法を用いた地域づくりについて報告がなされた。事例では「北斎館」という地域を象徴する「わかり易い」拠点(イマジナリーシンボル)をもとに、住民が参加しながら面的に景観が形成されていき、さらに新しい拠点が形成されるプロセスが紹介された。ここでのポイントは、「わかり易く」象徴化されたイメージを軸に、地域の景観が住民を巻き込みながら形成されるということであった。 報告の後半では、この手法の他地域への応用の可能性を探った事例として、銚子市での氏の活動が紹介された。ここでは、市の事業に携わりながら、地域を表象するわかりやすい拠点(イマジナリーシンボル)を中心にした地域の整備・景観形成を試み様子について報告された。特に、市民に共有された地域に対するイメージをもとに、新たなイマジナリーシンボル(この場合、(仮称)銚子・醤油文化歴史館)を作り、それを軸に地域の景観形成を計ろうとする試みが印象に残るものであった。 報告後は、このような景観形成は地域の「記憶の選択」に関わる問題であり、そこに地域住民がどのように関わるのかが課題になるという点や、新しく伝統を作り出すことの是非について刺激的な議論が行われ、例会も大変盛会なものになった。ただ、報告者の手法で地域の景観を形成するに際しては、留意すべき点があることも強く感じた。それは、例会中の議論でも挙げられていた、地域の景観形成を行う主体という問題である。報告においては特定のイメージに従った地域の景観形成について紹介がなされたが、観光で来る人々と地域住民、あるいは地域住民の間に最初から地域に対するイメージが共有されているわけではない。地域空間はさまざまな主体によるイメージが重層的に構築されており、「わかり易い」イメージでの景観形成といっても、どのような主体にとっての「わかり易さ」なのかということが常につきまとうであろう。 この点は、行政等の委託を受けて外部から地域の景観形成に携わる場合、強く自覚されるべき問題である。とりわけ事業として期間限定で地域に関わる主体(つまり、最終的には結果に対するリスクを保持しえない主体)が、その後も長く続く地域の景観形成にどれだけ責任を持ちうるのかということは、大きな問題である。報告された阿波氏が真摯にこの問題に取り組んでいる点は非常に評価できると感じたが、それでも構造的にこうした問題が残ることは指摘されるべき点であろう。 もちろん、最近では景観形成を地域アイデンティティの軸にしようとする住民活動も数多い。住民同士で地域の誇りになるものを探しあう「世間遺産」「探検・発見・ほっとけん」等の運動をはじめとして、各地で地域の景観形成に関わる活動が行われている。つまり、行政の事業として景観形成に関わる動きがある一方で、住民活動の中からも地域アイデンティティ形成の手段としての景観形成を行う動きが生じているのだ。 つまり、政策としても運動としても、現在、景観形成が地域の大きな課題になっているのである。例会後半の香川報告は、都市化による変化を漁業者の視点を軸に読み解く報告であったが、ここにおいても、空間を誰がどのように表象するのかということが課題となっていた。今回の2つの報告は、一見するとまったく関連性のない報告であったが、「地域を誰がどのように表象するのか」という点については、議論を共有していたと感じた。この点は、今年の春季大会シンポジウムのテーマと密接に関連する問題でもあり、大会での議論を大いに期待したい。 研究例会印象記 執筆者:上野淳子(上智大学大学院) 早春のまだ肌寒さを感じる3月12日(土)、東京市政調査会で研究例会が開催された。今回の報告者は阿波秀貢氏と香川雄一氏の2名であった。2番目に登壇された香川雄一氏(明治学院大学非常勤講師)は、川崎を主な調査地として、環境問題を地理学的な視点から研究されてきた方である。今回の報告も「川崎の地域環境問題における漁業者の役割とその変貌」と題して行われた。 川崎は工業都市のイメージがいまだ強く、「公害の街」という悪名ももつ。そうした悪評を払拭し、工業衰退とともに落ち込んだ地域経済を再生しようと、近年、川崎市は「文化」をキーワードにコンサート・ホール建設など川崎駅前の大規模開発を積極的に推し進めている。他方で長年、川崎の公害問題に取り組むNPO法人は「環境再生による地域再生」を訴える。脱工業化の波のなかで地域再生のあり方を模索する川崎や他の工業都市は今後どのような途をとりうるのか。その議論の出発点として、川崎が工業都市化する過程を論じた本報告を興味深く拝聴した。 香川氏は川崎の海苔養殖業を中心とした漁業者に注目し、彼らが環境問題に対する運動で果たした役割の変容を論じることで、工業都市化が地域社会に与えたインパクトを検討した。早くから工業化が進展した川崎では戦前すでに大気汚染と水質汚濁が問題になり、漁業組合による公害反対運動が起きている。戦前の川崎において漁業者は地域環境の悪化に対抗する主要なアクターであった。しかし、戦後に埋立事業と重化学工業化が推進されると川崎の漁業は衰退に向かう。さらに、住民による公害反対運動が活発化し公害対策として埋立地へ工場が移転されると、漁業の存続は困難となり漁業権の全面放棄が決定された。その後に行われた川崎公害裁判では元漁業者はほとんど関与せず、宅地開発にともなう流入住民が中心であったという。川崎の工業化が産業としての漁業の重要性を減じ衰退を招いただけでなく、都市化・郊外化とあいまって地域社会における漁業者の影響力を弱めていったことが示された。 報告後、漁業者が彼らの生業を脅かした公害問題に戦後になってなぜ目立った反対運動を行わなかったのか、海苔養殖の継続を希望する漁業者が何らかの形で漁業に携わり続けた可能性はないか、また調査地である橘樹(たちばな)郡の位置づけや漁業権の法的根拠について質問があった。特に、漁業権をめぐる対立・闘争が、なぜ全市的な公害反対運動と結びつかず収束したのかという点に関心が寄せられたように思う。地付きの漁業者と流入層からなる住民では環境問題に対する認識と対処方法が異なることは当然予想されるが、彼らをとりまく地域のネットワークや権力構造の変容も考慮しつつ議論することが必要だろう。 高度経済成長期に東京湾岸部は日本の経済発展を担う「京浜臨海工業地帯」と位置づけられ、川崎の漁業者は表舞台から消えていった。香川氏によれば、現在、元漁業者らが「海の歴史保存」を求める活動を始めたという。京浜臨海部の再編が構想されるなかで、元漁業者らの働きかけは川崎の海、さらに川崎という都市のあり方へいかなる影響を与えるのか、今後の動向を見守りたい。 |
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■■ 1979年〜2004年の活動概況 ■■ |
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■ 1979(昭和54)年度大会 1979年9月29日 横浜市産業貿易センター会議室 横浜の都市構造と関連する都市問題をテーマにした報告を軸に開催 研究発表・報告 「寿・愛隣・山谷-そのドヤ街草創と命運について---」渋川善久 「港湾都市の開発問題---その理念と政策をめぐって---」北見俊郎(青山学院大学教授) 「横浜市域における交通問題」柾幸雄(横浜市立大学教授) 「横浜の都市構造」小沢恵一(横浜市企画調整局企画課長) 「横浜のまちづくり」若竹馨(横浜市都市整備局開発課長) 「横浜市の経済構造」斎藤健一(財団法人神奈川経済研究所) 「横浜における管理中枢機構について」永田尚之(神奈川県企画部計画室長) ■ 1980(昭和55)年度大会 1980年12月7日 青山学院大学 自由報告 「労働者宿泊施設からみた都市の機能的性質について---特にドヤと飯場とを視点とした場合---」渋川喜久 「地域集団のリーダーと行政---自治会・町内会の調査から---」斎藤昌男(立正大学) 主題「都市学」 「『港湾都市』の学的形成と諸問題」北見俊郎(青山学院大学) 「都市化社会の生活様式」高橋勇悦(東京学芸大学) 「都市学の形成と課題」磯村英一(東洋大学) ■ 1981(昭和56)年度大会 1981年11月21日 三鷹市 都市学をテーマにしての研究発表、および三鷹市の再開発をめぐっての報告 「三鷹市の再開発」江口清三郎(三鷹市企画調整室) 「『山谷ドヤ街の草創事情に関する仮説』の提起について」 渋川喜久(元東京都城北福祉センター所長) 「都市と集合住宅」金子修(日本都市センター) 「オンブズマンの制度と機能」宇都宮深志(東海大学助教授) ■ 1981年度研究例会 9月研究例会(1981.9.26.)於:東京市政調査会 「マイ・タウン構想と今後の都政展望」市橋幸憲(東京都企画報道室調整部長) 10月研究例会(1981.10.17.)於:慶應義塾大学 「中国の古都をたずねて」山鹿誠次(独協大学教授) ■ 1982(昭和57)年度大会 1982年10月30日 慶應義塾大学 テーマ「都市と人間」 「港湾都市と人間の生活」北見俊郎(青山学院大学) 「都市と人間---ドヤ宿泊者に観察される階層分化傾向について---」 「都市の情報装置と人間」清原慶子(慶應義塾大学) 「行政と市民」大塚祚保(日本都市センター) ■ 1982年度研究例会 9月研究例会(1982.9.25.)於:慶應義塾大学 「身体と都市---都市の現象学をめぐって---」山岸健 12月研究例会(1982.12.4.)於:慶應義塾大学 「広島市における政令指定都市実現の過程と現状における問題点」 崎川謙三(日本大学法学部教授) ■ 1983(昭和58)年度大会 1983年10月1日 立正大学 自由発表 「東京山の手におけるクリエーティブ・ゾーンの特質と立地環境」 小野純一郎(立正大学・院) 「大都市周辺部における都市魅力の創造に関する一考察---神奈川県相模原市を事例として---」渡戸一郎(地方自治協会) 「地方政治から都市政治へ」土岐寛(東京市政調査会) 「伊豆下田の市街化と商業中心の動静」杉村暢二(文部省) シンポジウム・テーマ「都心社会の変化」 司会 田辺健一 問題提起 「都心形成の理論と課題」磯村英一 報告者 「都心地域における人口減少と都心社会の変化」大江守之(社会開発総合研究所) 「都心社会の変化---巨大都市東京の産業構造の変動と小零細経営群の存立要因からの検討」三井逸友(駒澤大学) 「都心社会における行政上の問題」竹下譲(拓殖大学) 「今日の都心研究の意味」高橋勇悦(東京学芸大学) ■ 1983年度研究例会 5月研究例会(1983.5.13.)於:慶應義塾大学 「都市開発と交通投資のあり方---筑波研究学園都市発展第二段階の課題---」 山東良文(人間都市研究所所長) 6月研究例会(1983.6.24.) 「都市の脆弱性と地域住民組織の機能---地震防災をめぐって---」 浦野正樹(早稲田大学助手) 11月研究例会(1983.11.26.)於:慶應義塾大学 「人口高齢化と自治体の社会保障問題の基礎分析」佐久間淳(埼玉県立衛生短期大学) 「【補足コメント】いわゆる"上積み老人福祉"の具体的状況」伊藤秀一(駒澤大学) ■ 1984(昭和59)年度大会 1984年9月29日 町田市 シンポジウム「町田の都市の将来像」 ■ 1984年度研究例会 11月研究例会(1984.11.17.)於:立正大学 「シカゴ学派の研究動向---人間生態学を中心として---」矢崎武夫(明星大学) ■ 1985(昭和60)年度大会 1985年11月9日 青山学院大学 シンポジウム・テーマ「場所と人間」 「ワシントンD.C.」荒木昭次郎(東海大学) 「ウィーン」土岐寛(東京市政調査会) 「エジプトの諸都市---カイロを中心として---」店田廣文(早稲田大学) ■ 1985(昭和60)年度研究例会 5月研究例会(1985.5.18.)於:東京市政調査会 「都市と権力---都市の比較社会学---」藤田弘夫(慶應義塾大学) 6月研究例会(1985.6.22.)於:東京市政調査会 「岐路にたつ大都市---世界都市の形成とインナーシティ問題---」町村敬志(東京大学) 10月研究例会(1985.10.26.)於:東京市政調査会 「イギリスの地方制度改革---とくに大都市制度を中心として---」星野光男(東京市政調査会) 12月研究例会(1985.12.7.)於:東京市政調査会 「日本とアメリカにおける都市景観変化の比較---1950年代と1980年代---」 正井泰夫(立正大学) ■ 1986(昭和61)年度大会 1986年11月8日 三浦市三崎マリン会議室 午前 市内見学・視察 基調講演 久野隆作(三浦市長) シンポジウム「三浦半島と都市」 司会 中村實 パネリスト 石渡庄蔵(三崎マリン社長)、北見俊郎(青山学院大学) 前田吉穂(横須賀市立馬堀中学)、柾幸雄(横浜市立大学教授) ■ 1986年度研究例会 4月研究例会(1986.4.26.) 於:慶應義塾大学 「丘の上の白い都市---アメリカにおける都市イメージ---」奥出直人(慶應義塾大学) 6月研究例会(1986.6.28.)於:慶應義塾大学 「都市と青年---私のアジールと求めて---」田中豊治(東邦大学医療短期大学) 9月研究例会(1986.9.27.)於:慶應義塾大学 「人口構造の変化と社会の変化」程野真(関東学院女子短期大学) 12月研究例会(1986.12.20.)於:慶應義塾大学 「大都市再定義の文脈---フィラデルフィアの事例から---」奥田道大(立教大学) ■ 1987(昭和62)年度大会 1988年2月13日 松戸市民会館 市内視察(工業団地、矢切の渡し、し尿処理場施設、常盤平団地ほか) 基調報告 宮間満寿雄(松戸市長) 自由報告 「コミュニティ行政の新展開--東京23区の事例を中心として--」和田清美(立教大学・院) 「日本における都市研究の課題---過去・現在・未来の展望---」 磯村英一(東京都立大学名誉教授) シンポジウム「国際交流と都市」 司会 服部_二郎(立正大学) 「東京圏下の松戸市の性格・使命と国際交流」清水馨八郎(千葉大学名誉教授) その他、渡辺吉章(松戸市在住)、磯村英一(東京都立大学名誉教授)の報告 ■ 1987(昭和62)年度研究例会 5月研究例会(1987.5.16.) 「都市祭礼論と都市人類学---京都大文字を中心として---」和崎春日(神奈川大学) 6月研究例会(1987.6.20.) 「クリエーティブ・ゾーンの地域論---東京・山の手インナーエリアについて---」小野純一郎(立正大学・院) 8月研究例会(1987.8.1.) 「都市経済の現状と課題」金倉忠之(東京市政調査会主任研究員) 11月研究例会(1987.11.28.) 「都市と暦---都市社会への時間論的アプローチ---」藤田弘夫(慶應義塾大学) 1月研究例会(1988.1.9.) 「都市銀行の店舗戦略」福原正弘(三井銀行店舗企画部副部長) 「土地問題と都市住民---新宿区落合地区の場合---」 麦倉哲(早稲田大学情報科学センター助手)・海野和之(早稲田大学・院) 横田尚俊(早稲田大学・院) 2月研究例会(1988.2.6.) 「生活空間としての都市---東京における都市生活基盤の歴史的考察---」 吉野英岐(慶應義塾大学・院) ■ 1988(昭和63)年度大会 1988年11月5日 日本都市センター 自由報告 「大都市における土地問題の一局面」 横田尚俊(早稲田大学・院)・麦倉哲(早稲田大学情報科学教育センター) 「東京のタウン・イメージ」小野純一郎(アーバン・アメニティ研究室) 「技術・産業と都市」藤田幸雄(日本都市センター研究室長) シンポジウム「東京問題を考える」 司会 幸島禮吉(関東都市学会会長)、本田弘(日本大学教授) パネラー 石黒哲郎(芝浦工業大学教授)、蝦名賢造(独協大学名誉教授) 竹下譲(拓殖大学教授)、清水馨八郎(国際武道大学教授) ■ 1988年度研究例会 5月研究例会(1988.5.7.) 「占領期における都市町内会」吉原直樹(神奈川大学) 6月研究例会(1988.6.4.) 「原宿および清里の地域変容---地域のファッション化を視点として---」 鈴木一久(立正大学・院) 7月研究例会(1988.7.30.) 「<ヤングタウン>の立地と空間構成---新しい広域中心核の形成に関する予備的研究---」小坂宏(芝浦工業大学助手) ■ 1989(昭和64/平成1)年度大会 1989年10月14日 多摩市パルテノン多摩 市内視察 基調報告 臼井千秋(多摩市長) 磯村英一(東京都立大学名誉教授) 自由報告 「遷都の歴史社会学」藤田弘夫(慶應義塾大学) 「計画づくりへのコミュニティ参加」中井道夫(計画技術研究所) シンポジウム「ニュータウン---新しい都市文化の創造---」 司会 西川治(立正大学) パネラー 佐々木信夫(聖学院大学)、石黒哲郎(芝浦工業大学)、浦野正樹(早稲田大学) ■ 1989年度研究例会 5月研究例会(1989.6.3.)於:日本都市センター 「東京区部から転出した企業の実態分析」佐脇政孝(未来工学研究所) 「三次元都市・東京の都市計画」横田慎二(未来工学研究所) ■ 1990(平成2)年度大会 1990年11月24日 日本都市センター 自由報告 「コミュニティ・カルテとコミュニティ計画---自治体計画との関連において---」 江口清三郎(山梨学院大学助教授) 「障害者の高等教育に関する調査研究」 大西哲(流通経済大学講師)・天野栄一(流通経済大学インストラクター) 基調報告 「東京都心部研究の回顧と展望」山鹿誠次(東京学芸大学名誉教授) シンポジウム 「東京都心部(千代田区・中央区・港区など)におけるまちづくりの課題と展望」 司会 石黒哲郎(芝浦工業大学教授) パネラー 服部_二郎(立正大学教授)、望月章司(千代田区都市整備部長) 小川玄(中央区都市整備部長)、土岐悦康(港区都市環境部長) ■ 1990(平成2)年度研究例会 9月研究例会(1990.9.29.) 於:日本都市センター 「ポストレス時代における自治体の対応---専門職制度を中心にして---」 大塚祚保(流通経済大学) 「地域防災と修復型まちづくり---東京における防災まちづくり概況---」 横田尚俊(関東学院大学) ■ 1991(平成3)年度総会・大会 1992年2月29日 柏市中央公民館 テーマ「大都市周辺都市の諸問題---まちづくりの実践と総合計画---」 基調報告 「柏市のまちづくりの実践」土田昭(柏市企画調整部長) シンポジウム・コーディネータ 石黒哲郎(芝浦工業大学) パネリスト 山鹿誠次(東京学芸大学名誉教授)、金倉忠之(東京市政調査会) 大塚祚保(流通経済大学教授)、斎藤吉永(柏市文化連盟会長) ■ 1991(平成3)年度研究例会 11月研究例会(1991.11.16.) 「谷中の育て方---谷中学校のこころみ---」 手島尚人(東京芸術大学助手)、椎原晶子(山手総合研究所) ■ 1992(平成4)年度大会 1992年12月5日 川越市駅前再開発ビル「アトレ」 市内視察 開会挨拶 川合喜一(川越市長)、山鹿誠次(関東都市学会会長) 基調報告 「川越市の現況とまちづくりの課題」牛見章(東洋大学工学部教授) シンポジウム「都市の魅力と文化---川越で伝統の継承と創造を考える---」 コーディネータ 石黒哲郎(芝浦工業大学) パネラー 「小江戸『川越』の魅力と文化性」服部_二郎(立正大学) 「<川越>日常的世界・風景・人間」山岸健(慶應義塾大学) 「高齢社会の視点から、思いつくままに」在塚礼子(埼玉大学) ■ 1992(平成4)年度研究例会 6月研究例会(1992.6.13.)於:日本都市センター 「ヨーロッパ諸都市と風景」山岸健(慶應義塾大学) 「世界都市と外国人労働者」大久保武(東京農業大学) 9月研究例会(1992.9.19.)於:日本都市センター 「オーストラリアの多文化主義と都市」浦野正樹(早稲田大学助教授) 「メガシティ・プロジェクトについて」井崎義治(エース総合研究所研究部副本部長) ■ 1993年度総会(1993.5.29.)於:日本都市センター 自由報告 「都市住民の行動様式についての一考察」島田知二(東洋大学助教授) 「地域福祉計画における現状と課題---首都圏下における小都市の事例---」 増田金重(リサーチプランナーズ代表プランナー) 「皇居と東京」清水馨八郎(千葉大学名誉教授) 特別講演 「江戸東京四百年」陣内秀信(法政大学教授) ■ 1993(平成5年)度大会(1993.11.20.) 於:逗子市立図書館 市内視察 基調報告 「逗子市の現況とまちづくりの課題」澤光代(逗子市長) 研究報告 「二十一世紀への都市の課題」磯村英一(東京都立大学名誉教授) 「三浦半島北西部における住宅地域の成立と特質」伊倉退蔵(横浜国立大学名誉教授) パネルディスカッション「都市の暮しやすさ・住みやすさ---都市経営と市民生活---」 コーディネータ 中村實(はまぎん産業文化振興財団) パネリスト 大塩俊介(東京都立大学名誉教授)、小野純一郎(アーバン・アメニティ研究室)、永橋為成(逗子市民)、正田美代子(逗子市民)、渡辺毅一(逗子市都市政策室長) ■ 1993(平成5)年度研究例会 9月研究例会(1993.9.11.) 「21世紀の都市の課題」磯村英一(東京都立大学名誉教授) 「超住社会の自治体人口政策」檜槇貢(日本都市センター) 3月研究例会(1994.3.30.) 於:日本都市センター 「自治体における環境行政の現状と課題---最近の調査から---」 金倉忠之(東京市政調査会第一研究室長) ■ 1994(平成6)年度総会(1994.6.4.) 於:東京都庁丸の内庁舎 特別講演 「父 奥井復太郎の思い出」 奥井晶 研究報告「現代都市学へのアプローチ」 話題提供 清水馨八郎(千葉大学名誉教授)、藤田弘夫(慶應義塾大学助教授) ■ 1994(平成6)年10月28-29日 日本都市学会第41回大会 於:慶應義塾大学 テーマ「現代都市の変容と課題---新しい都市論の構築のために---」 (内容は、日本都市学会記録を参照) ■ 1994年度研究例会 9月研究例会(1994.9.10.) 於:全共連ビル 「地域の国際化と都市行政」河田昭則(日本都市センター研究員) 「都市研究と奥井復太郎博士」幸島禮吉(東京市政調査会) 3月研究例会(1995.3.29.) 「阪神・淡路大震災に学ぶ---現地調査からの報告---」石黒哲郎(芝浦工業大学教授) ■ 1995(平成7)年度総会(1995.5.27.) 於:日本都市センター テーマ「都市と災害」 「阪神大震災の教訓と危機管理」清水馨八郎(千葉大学名誉教授) 「都市災害と住民の生活再建」浦野正樹(早稲田大学教授) 「阪神・淡路大震災から都市学の課題をさぐる」石黒哲郎(芝浦工業大学教授) ■ 1995(平成7)年度大会(1995.11.17.)相模原市産業会館 現地視察会 討論会 テーマ「都市のアイデンティティとネットワーク---相模原市で考える---」 挨拶 舘盛静光(相模原市長)、服部_二郎(関東都市学会会長) 司会 中村實(はまぎん産業文化振興財団理事) 基調報告 「都市のアイデンティティとネットワーク」石黒哲郎(芝浦工業大学教授) テーマ報告「相模原と日本---合併町村の諸問題---」藤田弘夫(慶應義塾大学教授) 研究報告 「都市自治体における『行政委嘱ボランティア』の現状と意義---武蔵野市と相模原市の調査を中心に---」渡戸一郎(明星大学) 「選挙行政の展開」山内和夫(東海大学教授) タウンウォッチング研究例会(1995.10.26.)「調布で都市と自然の共生を考える」 ■ 1995年度研究例会 7月研究例会(1995.7.21.) 「地球市民時代のパートナーシップ論」世古一穂(参加のデザイン研究所代表) 3月研究例会(1996.3.9.) 「マルチメディア社会に向けた横浜の情報化戦略」石田正(横浜市高度情報化担当課長) ■ 1996(平成8)年度総会 1996年7月6日 於:慶應義塾大学 研究報告 「東京におけるホームレス」倉沢進(東京都立大学教授) 「都市と健康」高野健人(東京医科歯科大学教授) ■ 1996(平成8)年度大会 1996年12月21日 於:(東京都)江戸東京博物館 テーマ「江戸東京学を考える」 講演等 「江戸東京博物館の現状とその周辺課題」北原進(江戸東京博物館都市歴史研究室長) 「掘り出された都市」小林克(江戸東京博物館学芸員) 「江戸東京学を考える」 メインスピーカー 田村明(法政大学教授) 司会 中村實(はまぎん文化振興財団理事) ■ タウンウォッチング研究例会「芸術・文化・歴史ある町"上野・浅草"の探訪」(1997.3.28.) コーディネータ 服部_二郎 (コース:下町風俗資料館、旧東京音楽学校奏楽堂、朝倉彫塑館、一葉記念館、浅草寺伝法院庭園などとその周辺) ■ 1996年度研究例会 9月研究例会(1996.9.21.) 於:東京市政調査会 「地球環境と持続的成長」伊藤善市(帝京大学) 11月研究例会(1996.11.16.) 「海からみた都市像」北見俊郎(静岡産業大学) 2月研究例会(1997.2.25.) 「横浜みなとみらい21地区の現状と課題」中村實(はまぎん文化振興財団) ■ 1997(平成9)年度総会(1997.6.21.) 於:東洋大学白山キャンパス 研究報告会「磯村英一と都市学」 討論司会 中村實 報告者 「磯村英一と都市学」服部_二郎 「磯村英一と都市学会」山鹿誠次 「磯村都市学が提起したもの---都市社会学第三世代のひとつの受けとめ---」渡戸一郎 ■ 1997(平成9)年度大会(1998.3.15.) 於:台東区役所 テーマ「変貌する首都圏、東京」 研究報告 「東京湾臨海部の変貌---横浜の海と金沢の漁業---」小林照夫(関東学院大学文学部教授) 「東西における大都市圏の変貌」戸所隆(高崎経済大学地域政策学部教授) 「さいたま新都心とその行方」井上繁(日本経済新聞社論説委員) ■ 1998(平成10)年度総会(1998.6.20.) 於:厚生会館(千代田区平河町) 研究報告 「磯村社会学の揺籃---東京帝大セツルメントと戸田社会学---」 中筋直哉(山梨大学工学部循環システム工学科助教授) 「底辺社会との回帰的関わりと磯村都市社会学」 清水洋行(東京学芸大学教育学部助手) ■ 1998(平成10)年度大会(1999.3.12-13.) 於:山梨県白州町 大会テーマ「街道と水---首都圏中山間地域の未来像を求めて---」 於:山梨県白州町(銘醸「七賢」和室+名水公園ベルガ研修室) 1999年3月12日 白州町現地視察 フォーラム1「街道と水」 コーディネータ 石黒哲郎(芝浦工業大学教授) 話題提供 「山梨県の地域振興と都市---県内東部地域を中心に---」 和田明子(都留文科大学名誉教授/中央大学経済研究所) 「台が原宿の今昔」細田元(台が原研究会) 「白州町の誇りはなにか」服部_二郎(日本都市学会会長) 1999年3月13日 フォーラム2「白州のまちづくり」 コーディネータ 浦野正樹(早稲田大学教授) 話題提供 伊藤好彦(白州町長)、檜槇貢(山梨総合研究所調査研究部長) ■ 1999(平成11)年度総会 1999年6月19日 於:厚生会館 研究報告 「首都圏中山間地域の課題---山梨県白州町を事例として---」 檜槇貢(山梨総合研究所・調査研究部長) 「『地域防災』構想の新たな展開」 大矢根淳(専修大学専任講師) ■ 1999(平成11)年10月22-23日 日本都市学会第46回大会 於:日本都市センター テーマ「成熟社会における都市の自治と交流」主催 日本都市学会・関東都市学会 (内容は、日本都市学会記録を参照) ■ タウンウォッチング研究例会(1999.11.21.)「横浜MM21地区ウォッチング」 コーディネート:小林照夫、中村實 講師 佐田宏(日本ホスピタリティ協会常任理事) コース:日本丸メモリアルパーク、横浜ランドマークタワー、クイーンズスクエア、パシフィコ横浜、臨港パーク、横浜ワールドポーターズ、ナビオス横浜、汽車道など ■ 1999年度研究例会 9月研究例会(1999.9.18.)於:早稲田大学文学部 「アラブ・イスラム圏の都市問題」店田廣文(早稲田大学教授) 「中国社会主義と都市=農村関係の展開」藤田弘夫(慶應義塾大学教授) 3月研究例会(2000.3.11.) 於:東京市政調査会 テーマ「ホームレス・不良住宅・スラム」司会 熊田俊郎(駿河台大学) 「ホームレス問題に対する行政施策の新局面---ホームレス対策の比較検討:日雇い労働者問題からホームレス問題へ---」麦倉哲(東京女学館短期大学) 「戦後横浜の不良環境地区の変遷---昭和20年から昭和30年代半ばの桜木町、日の出町---」矢吹大介(関東学院大学・院) 「生活保護・同和地区を抱えた自治体のコミュニティ・オーガニゼーション」 大内田鶴子(地方自治研究機構) ■ 2000(平成12)年度総会(2000.5.20.) 於:慶應義塾大学三田校舎 シンポジウム「戦後日本都市社会学・再考」 司会:熊田俊郎(駿河台大学法学部・教授) 川西崇行(東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻) 報告1 「シカゴ学派と日本都市論の架け橋---統合機関説の誕生---」 ○上野淳子(上智大学大学院文学研究科社会学専攻) 西山志保(慶應義塾大学大学院社会学研究科) 2 「統合機関説と戦後日本の都市社会学の展開」 ○柴田彩千子(日本女子大学大学院人間社会研究科) 松尾浩一郎(慶應義塾大学大学院社会学研究科) 3 「都市社会学者の理論と実践 ---首都圏計画における矢崎武夫/統合機関説の国際的展開---」 ○土居洋平(慶應義塾大学大学院社会学研究科) 川西崇行(東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻) ■ 2000(平成12)年度大会(2000.12.2.) 於:小田原市民会館 ウォーキング・ツアー(小田原城及び周辺、中心市街地商店街等の視察) 基調講演「小田原市の現況とまちづくりの課題」小澤良明(小田原市長) パネルディスカッション「首都圏外郭中心都市の可能性と課題」 コーディネータ 藤田弘夫(慶応義塾大学) パネリスト 小野意雄(小野不動産)、熊田俊郎(駿河台大学)、戸所隆(高崎経済大学) ■ 2000年度研究例会 10月研究例会(2000.10.14.) 於:早稲田大学文学部 「災害復興過程のコミュニティ再生---新たなるコミュニティ論構築をめざして---」 似田貝香門(東京大学) 「被災地ボランティアの事業化とサブシステンスの成立---阪神・淡路大震災の事例から---」西山志保(慶應義塾大学・院) ■ 3月研究例会(2001.3.10.) 於:東京市政調査会 「都市の高齢社会化と地域看護・介護」和田清美(東京都立短期大学) 「『一人暮らし高齢者』の『社会問題化』のプロセス---東京都社会福祉協議会のクレイム申し立て活動を中心に---」黒岩亮子(日本女子大学大学院) ■ 2001(平成13)年度総会(2001.5.26.) 於:早稲田大学文学部 シンポジウム「21世紀都市の風景を占う」 司会 井上繁(常磐大学) 報告 「増殖するアーバン・エスニシティと変貌するインナーエリア・コミュニティ」 渡戸一郎(明星大学) 「中心市街地の活性化をめぐって」小野純一郎(アーバン・アメニティ研究室) 「都市における市民活動の展開---震災からの都市復興過程にみる支援活動のネットワーク---」菅磨志保(早稲田大学) 「まち角に見る『公』と『私』---看板の社会学---」藤田弘夫(慶應義塾大学) ■ 2001(平成13)年度大会(2001.12.1.) 於:飯能市役所 エクスカーション 〔見学コース〕原市場、南高麗、美杉台、及び東飯能駅再開発ビル 挨拶 沢辺静壱(飯能市長)、石黒哲郎(関東都市学会会長) 基調講演「飯能の都市計画」 吉田親義(飯能市建設部長) シンポジウム「分権時代の新しい近郊都市像を求めて」 司会:三田啓一(東京市政調査会) 「地方中心都市の周辺自治体における住民運動と行政の対応」 中井道夫(山梨学院大学法学部) 「ゼロ成長時代における首都圏近郊都市をめぐる情況」熊田俊郎(駿河台大学法学部) 「まちづくり条例による田園地域の総合的土地利用コントロール」秋田典子(東京大学・院) ■ 2001(平成13)年度研究例会 7月研究例会(2001.7.28.) 於:慶應義塾大学三田校舎 「「旧法(旧都市計画法・市街地建築物法)体制下の市街地形態と都市の美観(1919〜1945、或いは1968)」川西崇行(東京大学大学院) 「台湾921震災と阪神・淡路大震災の比較研究に向けて」 木村明子(東京都立大学大学院)・服部くみ恵(まち・コミュニケーションスタッフ) 3月研究例会(2002.3.16.) 於:東京市政調査会 「地域ケア・在宅療養支援をめぐって」国府田文則(UFJグループ三和総合研究所) 「地域ケアシステム(長岡京市の例)」 大内田鶴子(江戸川大学助教授) ■ 2002(平成14)年度春季大会(2002.5.25.) 於:芝浦工業大学 自由報告 「阪神・淡路大震災後の地域社会再生に向けての取り組み―長田区御蔵5・6地区における『ポスト共同化』―」木村明子(早稲田大学講師) シンポジウム「錯綜する『景観』---都市の審美性は共有できるのか---」 問題提起 「『景観』のジレンマ」 下村恭広(早稲田大学助手) 研究報告 「都市史の連続・不連続 −制度・生活・文学−」 ○川西 崇行(東京大学大学院) 石神 裕之(慶応義塾大学大学院) 鈴木 貴宇(東京大学大学院) 「つくられた景観 −1980年代における宅地開発の転換−」 ○上野 淳子(上智大学大学院) 松尾浩一郎(慶応義塾大学講師) 土居 洋平(NPO地域交流センター) 高岡 文章(慶応義塾大学大学院) 「現場からの報告 −主体の差異に注目して−」 ○義平 真心(東京大学大学院) ○秋田 典子(東京大学大学院) ○西野 淑美(東京大学大学院) 柴田彩千子(日本女子大学大学院) 討論者 成瀬 厚(東京経済大学講師)/石神 裕之/松尾浩一郎 ■ 2002(平成14)年度秋季大会(2002.10.12.) 於:川越市立博物館 ウォーキング・ツアー(川越駅前〜クレアモール〜新富町〜立門前通り〜大正浪漫夢通り〜一番街・蔵造り資料館他) 基調報告「川越市のまちづくり」木島宣之(川越市都市計画課課長) シンポジウム「近郊都市における歴史的環境保全と開発」 コーディネータ 石黒哲郎(芝浦工業大学/関東都市学会会長) パネリスト 勝又晃衣(川越蔵の会広報部長) ---市民運動の視点から--- 新津重幸(高千穂商科大学教授) ---マーケティングの視点から--- 後藤春彦(早稲田大学教授) ---都市計画の視点から--- ■ 2002年度研究例会 9月研究例会(2002.9.21.) 於:早稲田大学文学部 「戦後日本の住宅政策―日本型福祉国家論への試み-」金子憲(東京大学大学院) 「山谷における生活世界の体験的研究」馬場佳久(日本大学大学院) 3月研究例会(2003.3.15.) 於:東京市政調査会 「小地域単位における住民意識を反映したまちづくり--愛媛県内子町を例に--」 埴原朋哉(高崎経済大学・大学院) 「オクスフォード-イメージと現実と--」 吉瀬雄一(関東学院大学) ■ 2003(平成15)年度春季大会(2003.5.24.) 於:早稲田大学戸山キャンパス 自由報告 「コミュニティ・ガヴァナンスの創造に向けて--英国SRB制度の社会学的分析--」 平井 太郎 (東京大学) 「公共政策と政策評価--財政投融資計画を事例として--」金子 憲 (東京大学) 「市民的地域政策形成とサポート機能--アソシエーションの検討を通じて--」 檜槙貢(作新学院) シンポジウム「関東都市学会・日本都市学会の50年---過去・現在・未来---」 司会 藤田弘夫(慶応義塾大学) 「創立期の関東都市学会とその周辺(1)」本田 弘 (日本大学) 「創立期の関東都市学会とその周辺(2)」齋藤 昌男(立正大学) コメンテーター 松尾 浩一郎(日本社会事業大学) 川西 崇行 (東京大学) ■ 2003(平成15)年度秋季大会(2003.10.11.) 於:水戸芸術館 ウォーキング・ツアー 水戸駅北口広場―銀杏坂―三の丸歴史ロード―大手橋―弘道館(水戸藩藩校) ―旧茨城県庁舎―街かどルネッサンス整備事業箇所(南町)―泉町1丁目南地区市街地再開発事業区域(地元百貨店「伊勢甚」撤退跡)―水戸芸術館 基調報告「水戸芸術館とまちづくり」 大津良夫((財)水戸市芸術振興財団事務局長) パネルディスカッション「芸術を生かしたまちづくり」 コーディネーター 井上 繁(常磐大学教授) 討論者 逢坂恵理子(水戸芸術館現代美術センター芸術監督) 住谷 強生(泉町2丁目商店街振興組合副理事長) 戸所 隆(高崎経済大学教授) 渡戸 一郎(明星大学教授) ■ 2003年度研究例会 9月研究例会(2003.9.20.) 於:慶應義塾大学日吉キャンパス 「東京の都市化過程における再生資源卸売業の集団形成とその変容」 下村恭広(早稲田大学文学部助手) 「場所の文法:アーバンツーリズムにおける」 成瀬 厚(東京経済大学講師) 3月研究例会(2004.3.13.) 於:早稲田大学文学部キャンパス 「地方都市における大学立地に伴う経済波及効果の捉え方」 千葉 勝(財団法人政策科学研究所) 「要介護化と都市の空間性:東京二世とその老親の事例群から」 西野 淑美(東京大学大学院) ■ 2004年度 春季大会 12:30〜13:40 自由報告 「東京都における緑地の変化に関する区市町村の地域特性」 石原 肇(東京都庁) 「東京100キロ圏の中核都市における中心市街地居住の実態―高崎市を事例に―」 鈴木智(高崎市役所) 「サンフランシスコ市のアフォーダブル住宅政策と非営利ディベロッパーの活躍:テンダーロイン地区におけるホームレス居住自立支援」 義平真心(東京大学・院) 13:50〜16:45 シンポジウム<「生きられる経験」としての郊外----衰退か、再生か----> 司会 土居洋平(地域交流センター) 1.「郊外居住の地理的実在―住宅双六からライフスタイル居住へ」 中澤 高志(地理学・日本学術振興会) 2.「<郊外>に託されてきた物語:「団塊の世代」と「戦後民主主義」との関連から」 鈴木 貴宇(文学・東京大学・院) 3.「郊外居住の歴史社会学・序論」 祐成 保志(社会学・札幌学院大学) 4.「〈郊外的なるもの〉の現在」 田中 研之輔(社会学・日本学術振興会) コメンテータ 内藤辰美(日本女子大学教授)、石黒哲郎(芝浦工業大学名誉教授) 総会 16:50〜17:30 懇親会 18:00〜19:30 ■ 2004年度研究例会 第1回 研究例会 開催日時:平成16年9月18日(土) 15:00〜17:30 開催場所:慶応義塾大学三田キャンパス 大学院棟2階325B 報告: 「住み家殺人事件―建築論ノート―」 松山巌(作家・評論家) 「戦前期の『都市問題』と『建築警察』の誕生 ―大阪府・兵庫県の事例と大正期の法制化を中心に―」 福沢真一(常磐大学コミュニティ振興学部) 第2回研究例会 開催日時:平成17年3月12日(土) 15:00〜17:30 開催場所:東京市政調査会 5階第1会議室 報告: 「景観形成におけるイマジナリーシンボルについて」 阿波秀貢氏(晦WA都市建築計画研究所) 「川崎の地域環境問題における漁業者の役割とその変貌」 香川雄一氏(明治学院大学非常勤講師) |